難船事故とは? わかりやすく解説

難船事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 06:20 UTC 版)

「ロイヤル・チャーター」の記事における「難船事故」の解説

1859年10月後半に『ロイヤル・チャーター』はメルボルンからリヴァプールまでの帰航にあった総数371人の乗客(約112人の乗組員とともに)は多く金鉱者をふくみ、そのなかにはオーストラリア鉱区でよい鉱脈掘り当て大量の金を身につけて運んでいたひとびともいた。金の委託貨物もまた船荷として運ばれつつあった。10月25日アングルシー島北西端着いたとき気圧は下がりつつあり、船長大佐トマス・タイラー(master, Captain Thomas Taylor)は、ホーリーヘッド港(Holyhead harbour)に避難するように助言されたと一部乗客によってのちに主張されたが、ただし確認されなかった。しかし彼は、リヴァプールまで航行しつづける決心であった。 ポイント・ライナス(Point Lynas)沖合で『ロイヤル・チャーター』は水先案内人乗せようとしたが、風はいまやビューフォート風力階級10につよまり、すばやく荒れしつつある海はそれを不可能にした。10月25日26日の夜のあいだに風は「ロイヤル・チャーター疾強風」("Royal Charter gale")として知られるようになったビューフォート風力階級12颶風(ぐふう)につよまった。風がつよまるにつれて風向西から北西に、そして北北西にかわり船をアングルシー島北西岸にむかわせた。午後11時に船は投錨したが、26日午前1時30分にポート・アンカー・チェーンが切れ、それにつづいて1時間後にスターボード・チェーンが切れた。風の抗力(drag)を減じるために複数マスト切ったにもかかわらず、『ロイヤル・チャーター』は、蒸気エンジン颶風さからって前進することができずに海岸近くむかった。船はさいしょ砂岸に座礁したが、26日早朝満ち潮が船をアングルシー島北岸のポース・アラースのモイルブレのすぐ北の岩々に乗り上げさせた。船は、時速100マイル超える風によってホイップ・アップされた巨大な波によって岩々にたたきつけられて、すばやくばらばらになった乗組員ひとりであるマルティーズ(Maltese)は、 Guzi Ruggier として生まれ、ジョセフ・ロジャース(Joseph Rogers)としても知られるが、ラインをもって浜に向かって泳ぎ少人数を救うことができたし、またほかの少人数打ち寄せる波のなかを骨折って進み浜に着くことができた。乗客および乗組員大部分あわせて450人超が死亡した。その大部分おぼれたというよりもむしろ波によって岩々にたたきつけられ死亡した。身につけている金のベルト重さのためにおぼれたひとびともいると言われた。乗客21人および乗組員18人という生存者全員男で、女と子供はひとりも救助されなかった。1859年8月メルボルン出発した320人の乗客の名前の一覧表ヴィクトリア公文書館(the Public Records Office)からオンライン入手し得る:「"Index to Outward Passengers to Interstate, UK and Foreign Ports, 1852–1901"」 大量の金はポース・アラースの浜に投げ上げられていたと言われ数家族が一夜にして裕福になった。船荷として運ばれ金地金には322000ドル保険かけられたが、乗客多く身につけるか、そうでなければ船の貴重品室に預けてかなりの量の金を持っていたから、船上の金の全価値は、もっと高かったにちがいない。 海から回収され遺体多くは、ちかくのスランアスゴ(Llanallgo)の聖ガスゴ教会(St Gallgo's Church)に埋葬され、そこではまだ複数の墓と記念物1つ見られる。また船がぶつかった岩々の上の崖にも記念物があり、それはアングルシー・コースタル・パス(Anglesey Coastal Path)に接している。 災害のとき、地元住民らが難破船戦利品から裕福になっている、あるいは犠牲者ら悲しんでいる親戚らを利用して私利図っているという主張があり、救出に従っていた「モイルブレ28」("Moelfre Twenty-Eight")は、タイムズ宛て手紙送り記録訂正した非難反駁しりしようとした。英語を話す報道代表が情報収集しようとした際に言語障壁あたったという事実のみがさらなる誤解をまねくことになった。 ほとんどきっかり1世紀後(いちにちたがわず)の1959年10月に、『ヒンドリー』(Hindlea)という別の船が、べつの疾強風をうけてほとんどおなじ海域で岩々にぶつかった今度結果がことなってリチャード・エヴァンス(Richard Evans)を艇長とするモイルブレの救命艇乗組員救出成功したBBCTVショーWho Do You Think You Are?』の或るエピソードのあいだ、庭師モンティ・ドン(Monty Don)は、自身高祖父チャールズ・ヴェア・ホッジ師(Reverend Charles Vere Hodge)が『ロイヤル・チャーター』で死亡したことを発見した

※この「難船事故」の解説は、「ロイヤル・チャーター」の解説の一部です。
「難船事故」を含む「ロイヤル・チャーター」の記事については、「ロイヤル・チャーター」の概要を参照ください。

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