バルコニーで演説とは? わかりやすく解説

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バルコニーで演説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 09:18 UTC 版)

三島事件」の記事における「バルコニーで演説」の解説

部隊放送聞いた自衛官800から1000名が、続々駆け足本館正面玄関前の前庭集まり出した中にはすでに食堂昼食食べ始め、それを中断して来た者もあった。彼らの中では、「暴徒乱入して、人が斬られた」「総監人質取られた」「赤軍派が来たんじゃないか」「三島由紀夫もいるのか」などと情報錯綜していた。 1155分頃、鉢巻白手袋を着け森田必勝小川正洋が、「」を多数撒布し要求項目墨書きした垂れ幕総監室前バルコニー上から垂らした自衛官2人ジャンプして垂れ幕引きずり下そうとしたが、届かなかった。前庭には、ジュラルミンの盾を持った機動隊員や、新聞社テレビなど報道陣の車も集まっていた。 当日総監部から約50メートルしか離れていない市ヶ谷会館例会来ていた楯の会会員30名については、幕僚らは三島要求受け入れず会館内に閉じ込める処置をし、警察監視下に置かれ現場召集させなかった。不穏な状況知って動揺する会員らと警察・自衛隊との間で小競り合い起こりピストル制止された。 正午告げサイレン市ヶ谷駐屯地の上空に鳴り響き太陽の光浴びて光る日本刀・“関孫六”の抜身右手掲げた三島バルコニー立った日本刀見えたのは一瞬のことだった。三島の頭には、「七生報國」(七たび生まれ変わっても、朝敵滅ぼし、国に報いるの意)と書かれた日の丸鉢巻巻かれていた。右背後には同じ鉢巻森田仁王立ちし、正面凝視していた。 「三島だ」「何だあれは」「ばかやろう」などと口々に声が上がる中、三島集合した自衛官たちに向かい白い手袋の拳を振り上げて絶叫しながら演説始めた。〈日本を守る〉ための〈建軍本義〉に立ち返れという憲法改正決起促す演説で、主旨撒布された「」とほぼ同じ内容であった上空には、早くも異変聞きつけたマスコミヘリコプター騒音出し、何台も旋回していた。 おまえら聞け静かにせい。静かにせい。話を聞け男一匹が命をかけて諸君訴えているんだぞ。いいか。それがだ、今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君永久にだね、ただアメリカ軍隊になってしまうんだぞ。(中略)おれは4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。……4年待ったんだ、……最後30分に……待っているんだよ。諸君武士だろう。武士ならば自分否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り諸君たちは永久に救われんのだぞ。 — 三島由紀夫バルコニーにて 自衛官たちは一斉に、「聞こえねえぞ」「引っ込め」「下に降りてきてしゃべれ」「おまえなんかに何が解るんだ」「ばかやろう」と激し怒号飛ばした。「われわれの仲間を傷つけたのは、どうした訳だ」と野次が飛ぶと、すかさず三島はそれに答えて、「抵抗したからだ」と凄まじい気迫やり返した。 その場にいたK陸曹原典でも匿名)は、うるさい野次舌打ちし、「絶叫する三島由紀夫訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした」「ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるではないか心情的に理解した」と後に語り、いったん号令をかけて集合させたなら、きちんと部隊別に整列して聴くきだったではないかとしている。 三島は、〈諸君中に一人でもおれと一緒に起つ奴はいないのか〉と叫び10秒ほど沈黙して待ったが、相変わらず自衛官らは、「気違い」「そんなのいるもんか」と罵声浴びせた予想越えた怒号激しさヘリコプター騒音で、演説予定時間よりもかなり少なく、わずか10分ほどで切り上げられた。三島演説早めに切り上げたのは、機動隊一階突入したのを見たからだとも推測されている。 演説終えた三島は、最後に森田と共に皇居に向って、〈天皇陛下歳!〉を三唱したその時も、「ひきずり降ろせ」「銃で撃て」などの野次で、ほとんども聞き取れないほどだった。この日、第32普通科連隊100名ほどの留守部隊残して900名の精鋭部隊東富士演習場に出かけて留守であった三島は、森田情報連隊長だけが留守だと勘違いしていた。バルコニー前に集まっていた自衛官たちは通信資材補給などの、現職においてはどちらかといえば三島想定した武士」ではない隊員であった三島神風連敬神党)の精神性に少しでも近づくことに重きを置いてマイク使用していなかった。マイク拡声器使わずに、あくまでも雄叫び肉声こだわった三島林房雄との対談対話日本人論』(1966年)の中で、神風連西洋文明対抗するため、電線の下をくぐる時は白扇を頭に乗せたことや、彼らがあえて日本刀だけで戦ったの意味語っていた。 三島演説テレビで見ていた作家野上弥生子は、もしも自分母親だったら「(マイクを)その場走って届け行ってやりたかった」と語っていたという。水木しげるは、『コミック昭和史第8巻1989年)で、当時自衛官演説を聴かなかったことについて、「三島由紀夫武士道強調しながら自衛隊員相手にされなかったのは自衛隊員豊かな日本個人主義享楽主義傾向になっていたからだろう」としている。 事前に三島連絡を受け、当日朝、11時に市ヶ谷会館に来るように指定されていたサンデー毎日記者徳岡孝夫NHK記者伊達宗克は、楯の会会員田中健一を介して三島の手紙と檄文、5人の写真など入った封書渡されていた。それは万が一警察から檄文没収され事件隠蔽され時のことを惧れ託されたものだった徳岡はそれを靴下内側隠してバルコニー前まで走り演説聞いていた。 前庭駆けつけテレビ関係者などは、野次騒音演説はほとんど聞こえなかったと証言しているが、徳岡孝夫は、「聞く耳さえあれば聞こえた」「なぜ、もう少し心を静かにして聞かなかったのだろう」とし、「自分たち記者らには演説の声は比較的よく聞こえており、テレビ関係者とは聴く耳が違うのだろう」と語っている。 この演説全容録音できたのは文化放送けだったマイク木の枝括り付けて、飛び交う罵声報道ヘリコプター騒音の中、〈それでも武士か〉と自衛官たちに向けて怒号発する三島の声を良好に録音することに成功しスクープとなったという。文化放送報道部監修スクープ音声伝えた戦後ニッポン』(2005年新潮社)の付属CDでこの演説肉声聴くことができる。

※この「バルコニーで演説」の解説は、「三島事件」の解説の一部です。
「バルコニーで演説」を含む「三島事件」の記事については、「三島事件」の概要を参照ください。

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