バルコニーに座って
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/04 03:58 UTC 版)
「バルコニーに座って」[1](バルコニーにすわって、英語: Sittin' in the Balcony)は、ジョン・D・ラウダーミルクがジョニー・ディー (Johnny Dee) 名義で書き、自ら演奏して発表した楽曲。1957年1月に、コロニアル・レコードがらリリースされた。同じ月に、リバティ・レコードからエディ・コクランが出したバージョンが、アメリカ合衆国においてトップ40に入るヒットとなった。
日本語では、「バルコニーに坐って」[2]、「バルコニーにすわって」[3]などの表記がなされたり、英語原題を音写して「シッティン・イン・ザ・バルコニー」として言及されることもある[4]。
エディ・コクラン盤
「Sittin' in the Balcony」 | ||||
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エディ・コクラン の シングル | ||||
初出アルバム『Singin' to My Baby』 | ||||
B面 | "Dark Lonely Street" | |||
リリース | ||||
規格 | 7" シングル | |||
録音 | 1957年1月 ゴールド・スター・スタジオ |
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ジャンル | リズム・アンド・ブルース | |||
時間 | ||||
レーベル | リバティ・レコード | |||
作詞・作曲 | ジョニー・ディー | |||
エディ・コクラン シングル 年表 | ||||
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専門評論家によるレビュー | |
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レビュー・スコア | |
出典 | 評価 |
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エディ・コクランが歌った「バルコニーに座って」は、1957年1月に、リバティ・レコードからシングルとしてリリースされた。『ビルボード』誌のチャートでは、18位まで上昇した。
チャート
チャート(1957年) | 最高位 |
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23 |
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18 |
その他のおもなカバー
- ドン・マクリーン(1989年)
- マルコ・ディ・マッジオ (Marco Di Maggio)(2000年)
- ケルト・ヘイック (Keld Heick)(2010年)
外部リンク
- Eddie Cochran US discography
- Rate Your Music review Sittin' in the Balcony / Dark Lonely Street
- Sittin' in the Balcony on Second Hand Songs
- 「バルコニーに座って」の歌詞 - メトロリリック
脚注
- ^ デジタル大辞泉プラス『バルコニーに座って』 - コトバンク
- ^ 山下敬二郎が歌った渡舟人の日本語詞によるバージョンの曲名。
- ^ 平尾昌章(のち昌晃)が歌った音羽たかし名義の日本語詞によるバージョンの曲名。
- ^ “DJモトオの今週の一曲バックナンバー”. 毎日放送. 2016年7月24日閲覧。
- ^ Rate Your Music review
バルコニーに座って
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/20 14:25 UTC 版)
「エディ・コクラン」の記事における「バルコニーに座って」の解説
ABCパラマウントはノースカロライナ州の「コロニアル(Colonial)」レーベルをリバティと競合の末に買収した。敗れた形のリバティは負けじとコロニアル専属であるシンガーソングライター、ジョニー・ディー作曲「バルコニーに座って (Sittin' in the Balcony)」をエディ最初のシングルに決定する。当初「女はそれを我慢出来ない」の公開に合わせ「トゥエンティ・フライト・ロック」のリリースが予定されていたが急遽変更となった。 「私とエディはワロンカーからリバティのオフィスに呼ばれ『バルコニーに座って』の録音を伝えられた。エディは私にこう言った。『オヤジさん、これは売れると思うよ。』急ぎの仕事だったが完全な物に仕上げる必要があった。3日後の午後8時にリバティのスタジオに入り録音が終了したのは夜明け前だった。」(ジェリー・ケープハート)「スタジオでプレイバックを聴いた時、出来の悪さに失望した。この曲がミリオンセラーになった時、僕自身が一番驚いた。」(エディ・コクラン、NMEのインタビューに対して) 3月にオリジナルのジョニー・ディー盤と共にホット100入り、ジョニー(38位)、エディー(18位)の全国ヒットとなった。だがフォローアップのための続く2枚のシングル「ミーン・ウェン・アイム・マッド/ワン・キス」(5月)「ドライブ・イン・ショウ/アム・アイ・ブルー」(7月)は振るわず、かろうじて「ドライブ~」が82位となっただけだった。10月ジーン・ヴィンセント、リトル・リチャードと共にオーストラリア・ツアー。同国ではこの年の1月にビル・ヘイリー、ジョー・ターナーらが大規模なロックンロール・ショウを成功させており二度目のロックスターの来訪となっていた。この公演の最中リトル・リーチャードは突然引退を宣言、シドニーのハーバー橋から所持する宝石を投げ捨てている。
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