スポーツ漫画の変容
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あだち充は1978年から1980年にかけて『週刊少年サンデー増刊号』において野球漫画『ナイン』を連載した。この作品は第1話こそ熱血風の内容で始まるものの、それ以降はラブコメものへと移行。従来通りライバルが登場し、甲子園という目標を設定してはいるものの努力や勝敗に固執せず、登場人物の触れ合いや感情の機微を中心に描いた。あだちは従来の熱血少年ものの登場人物が「努力してますとか頑張ってますとか、大声でアピールする」ことや、ラブコメものの登場人物が「秘めたる思いを簡単に口に出す」ことに、かねてから「野暮さ」を感じていたといい、「野暮はイヤだよね。それを言っちゃったらおしまいだろうという感覚は、落語から教わっています」と発言している。 さらに、あだちは1981年から1986年にかけて『週刊少年サンデー』において野球漫画『タッチ』を連載した。この作品はマイペースな主人公・上杉達也、双子の弟・上杉和也、ヒロインの浅倉南による三角関係が展開され、和也の死をきっかけに達也がその遺志を継いで全国を目指すといった内容であり、スポーツ漫画および少年漫画の世界に少女漫画的な手法を導入した作品、「野球物路線と『みゆき』におけるラブコメ青春路線を合体」した作品と評される。 この作品では、近親者の死とその遺志を継ぐ宿命、ライバルとの対決といった図式を残しつつも、「生死を賭けた戦い」「精神の修養」といった旧来の求道者的な価値観は描かれず、登場人物間の三角関係や野球についての深刻な局面において、明るさや軽妙さを挟むことで敬遠させる「間を外す」手法が特徴となっている。作品終盤で主人公が夏の甲子園出場を果たし、ヒロインからの愛を獲得、最終話では甲子園における最終的な勝者となったことが暗示される中、ライバル・新田明男からの新しいステージでの再戦の申し出を拒否する言葉を語らせている。夏目は1991年に出版した『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』の中でこの場面を採り上げ「この一言で熱血スポーツものはコケた」と評し、一連の流れの終焉を見ている。さらに夏目は1984年から連載された水泳漫画『バタアシ金魚』(望月峯太郎)において、「(熱血、努力、根性、必殺技などの)かつての少年スポーツヒーローの条件の全てが壊れてしまった」としている。 夏目と同様に評論家の呉智英は1970年代後半から続くギャグ化、数々のスポ根作品を生み出した梶原一騎の傷害事件とスキャンダルによる漫画界からの撤退、安定成長期に生まれ育った読者層との価値観の断絶。京都精華大学教授で京都国際マンガミュージアム研究員の吉村和真は、根性の要素を打ち消した爽やかな作品群の登場、スポーツ界での伝統的な指導法に代わる科学的理論に基づいた指導法の研究開発、などといった社会情勢の変化によりスポ根というジャンルの終焉を見ている。 この時代は国内のスポーツに対する価値観が、それまでの「苦しさ」から「楽しさ」へと転換しようとした時期でもあるが、1981年から『週刊少年ジャンプ』で連載されたサッカー漫画『キャプテン翼』(高橋陽一)では従来のスポ根の構造を逆転させ、天才型の主人公が根性や努力に支えられた精神主義を基盤とするライバル達と対峙する作品となった。この作品では努力や特訓の成果ではなく「サッカーの楽しさ」「自由な発想」が勝敗を決定する価値基準となり、天才型主人公の大空翼の壁を越えられずに葛藤する努力型ライバルの日向小次郎に特訓の成果ではなく「自由な発想」という作品内の価値基準に気付かせることで、追いつかせる描写がなされた。ただし、横浜国立大学教授の海老原修は「努力より才能を重んじる作品が人気を獲得したからといって日本人の思考が変わってきたとは言えない。コミックの読者欄には努力を尊ぶ声も少なくなく、この呪縛から離脱することは生半ではない」と2000年代前半時点においてもスポ根の影響がまだまだ日本には根強いことに言及している。 1980年代中盤に入ると、さわやかな作品やコミカルな作品が台頭する影で、野球漫画『県立海空高校野球部員山下たろーくん』(こせきこうじ)や『名門!第三野球部』(むつ利之)などの根性を前面に出した作品が連載され、一部読者の支持を集めた。評論家の米澤嘉博は両作品を「時代の華やかさに取り残された地味なもの」とした上で「『タッチ』の明るいさわやかなカッコよさの後に、泥臭い青春が描かれ支持されたことは記憶すべきかもしれない」と評している。 一方、漫画家の島本和彦は「70年代の梶原一騎的なスポ根からいったん脱却してラブコメ全盛」の時代や、編集者がスポ根ものを希望しても、どれもうまくいかない「スポ根冬の時代」を経て、1989年から連載されているボクシング漫画『はじめの一歩』(森川ジョージ)によってスポ根が復活したという見解を示している。ただし島本は、「かっこわるい奴ががむしゃらにむしゃぶりついていくというのがよくって、また小林まことキャラが隣にいるのが絶妙なバランスなんです」と評するなど、この作品は前時代的なスポ根を踏襲したものではなく、格闘漫画『1・2の三四郎』や柔道漫画『柔道部物語』などを手掛けた小林まことのコミカルな作風を上手く活かしたものだと指摘している。編集者の斎藤宣彦は1980年代が「スポ根冬の時代」であった点には同意を示しているものの、同作については「主人公の少年が精進・努力し、その才能を見出す者や好敵手がいる」点から「60年代から続く正統派の『スポ根』作品」と位置付けている。
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