高橋陽一とは? わかりやすく解説

高橋陽一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/23 13:16 UTC 版)

たかはし よういち
高橋 陽一
生誕 (1960-07-28) 1960年7月28日(64歳)
日本東京都葛飾区
職業 漫画家
経営者
活動期間 1980年 -
代表作 キャプテン翼
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高橋 陽一(たかはし よういち、1960年7月28日[1] - )は、日本の元漫画家[2][3][注釈 1]・創作活動家・経営者男性東京都葛飾区四つ木出身[4]東京都立南葛飾高等学校卒業[5]。元妻は声優日比野朱里(旧名:小粥よう子)[5]血液型はA型。

主にスポーツを題材とした作品を執筆している。代表作はサッカーを題材にした作品『キャプテン翼』。

2024年4月、漫画家引退を表明。ただし、創作活動全てから引退するのではなく、マイペースで絵やストーリー制作を今後も継続する意向である[3][注釈 2]

来歴

1980年、『週刊少年ジャンプ』において読み切り作品『キャプテン翼』でデビュー。翌年、同作品で連載開始。同作品は人気を博し、1983年テレビ東京系でアニメ化された。『キャプテン翼』の最初のアニメ化で翼役を演じた小粥よう子(現・日比野朱里)と結婚したが、2014年頃に離婚[6]

現在のサッカー選手には『キャプテン翼』に影響された少年たちも多い。

スフィアリーグに参加する芸能人女子フットサルチーム「南葛シューターズ」の監督や葛飾区のサッカークラブチーム「南葛SC」の後援会会長も務め、南葛SCのJリーグ加盟に必要な運営法人の代表取締役[7]も務めている。また、『Road to 2002』では翼がFCバルセロナで入団し活躍することから、2004年2月16日にFCバルセロナ会長から直々に招待され、VIP席で試合を観戦したこともある。また、FCバルセロナのライバルであるレアル・マドリードの会長(当時)からは「なぜツバサをうちのチームに入れてくれなかったんだ」というコメントを受けている[8]

さらに作中で翼がバルセロナに入団した際、バルセロナのスポンサーであるナイキ社から「翼のスパイクをアディダス社からナイキ社に変更してほしい」という要望を受けたがこれを固辞している。これに関して高橋は、『週刊ヤングジャンプ』誌の取材で「僕はアディダスのファンなので」と語っている。

2006年には漫画家として異例のCM出演に留まらず、翼との共演を果たした。

サッカー漫画での成功が知られるが、スポーツ全般を好み[9]中学生時代は卓球部に、高校時代は軟式野球部に所属[1]昭和時代に水道橋の後楽園スタヂアムを本拠地としていた日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ)の大ファンである[10][11]。1980年代は自身の持つ草野球チームに熱中しており[12]、少年ジャンプの作家仲間である次原隆二を自チームの投手として誘い[13]、集英社内のバスケットボール[14]にも一緒に参加していた[15]。『エース!』連載中も草野球チームやソフトボールのチームをいくつか掛け持つほか、テニス愛好家でもある[16]

また、漫画以外でもフランスのプロサッカークラブ、グルノーブル・フット38のイメージキャラクターも手がけている[17]。さらに、イラク復旧活動の際には自衛隊側からの依頼で「イラクの子供に喜んで受け入れてもらうため」に、自衛隊の車両に『キャプテン翼』のキャラクターを描くなど、執筆活動以外の活動も行っている。2009年には、オリンピックの東京招致活動の一環であるメッセージフラッグに、「大空翼」と「若林源三」のイラストとメッセージを書き込んだ。

2008年6月18日J2第18節横浜FC徳島ヴォルティス戦より、横浜FCマッチデープログラム内に『はばたけ蹴太』を全13回計26ページにて連載、雑誌以外の連載物は初となった。

2011年には女子W杯に出場した日本女子代表の激励のため開催国ドイツに赴く。その際、翼と澤穂希をモデルにした応援キャラクターの『楓ちゃん』を書き込んだ日の丸をチームに寄贈した[18]。その後日本が女子W杯初優勝を果たした際、澤もこの日の丸を身にまとってウイニングランを行っている。

2015年2月、一般社団法人日本フットゴルフ協会アンバサダーに就任。2018年12月27日、葛飾区名誉区民として顕彰された[19]

2023年6月日本サッカー殿堂を受賞した[20]。授賞理由として、上記「キャプテン翼」を通して多くの少年・少女らにサッカーを普及させ、またこの作品を通してプロのサッカー選手になった選手も多く、日本サッカーの普及に貢献するだけでなく、全世界でもコミックスが全9,000万部以上を発行。テレビアニメも全世界で放映されており、世界的なサッカー選手を輩出するきっかけを作り、影響を与えたことが評価された。

2024年4月、漫画家引退を表明[21]。7月より「キャプテン翼原画展 〜FINAL そして未来へ!〜」が日本橋三越本店で開催。高橋はトークショーを行った。原画展は2025年以降全国巡回する予定。

2024年10月、第9回澄和Futurist賞を受賞[22]

作品リスト

連載漫画

短編漫画

  • 100Mジャンパー - 種目:スキージャンプ
  • キャプテン翼関連作品
    • キャプテン翼(読切版、短編集『100Mジャンパー』に収録)
    • ボクは岬太郎
    • キャプテン翼 ワールドユース特別編 最強の敵!オランダユース
    • キャプテン翼 海外激闘編 EN LA LIGA 最終章(2012年)
    • キャプテン翼短編集 DREAM FIELD - 現在2巻が刊行されている。
  • -卒業- 100MジャンパーII(読切版、短編集『ボクは岬太郎』に収録) - 種目:スキージャンプ
  • BASUKE-バスケ-(読切版、短編集『ボクは岬太郎』に収録) - 種目:バスケットボール
  • キーパーコーチ - 種目:サッカー
  • 攻・守!-KOSHU!-(読切版、短編集『キーパーコーチ』に収録) - 種目:サッカー
  • 北壁ダウンヒラー(読切版、短編集『キャプテン翼 ワールドユース特別編 最強の敵!オランダユース』に収録) - 種目:アルペンスキー
  • CHIBI(読切版、短編集『キャプテン翼 ワールドユース特別編 最強の敵!オランダユース』に収録) - 種目:ボクシング
  • 昴(すばる)(読切版、短編集『100Mジャンパー』に収録) - 種目:ボクシング
  • 初恋同士(読切版、短編集『100Mジャンパー』に収録) - 種目:剣道
  • 轟元太一本勝負(読切版、短編集『100Mジャンパー』に収録) - 種目:柔道

小説

自叙伝

  • キャプテン翼のつくり方(2018年7月、リピックブック)

キャラクターデザイン

  • SR孫堅(猛虎蹴撃)/EX(SR)孫権(守刀防御) - 三国志大戦(2017年)[25]
  • カラマール - WOWOWサッカーのオリジナルキャラクター(2020年)[26]

その他

メディア出演

CM

  • TOYOTA「トビラを開けよう」キャンペーン(2006年)
  • brazuca Around The World: Japan -- adidas Football adidas Youtube(2014年)
  • 東京ガス「東京ガスの電気」『バーバースガ 自由化ショット』編(2016年1月1日 - ) - 床屋の客 役
    • CM内の漫画『副キャプテン自由化[27]』は高橋本人の描きおろし[28]
  • indeed(2018年)

テレビ番組

関連項目

師匠

アシスタント

脚注

出典

  1. ^ a b 「日本漫画家名鑑500」編集委員会『日本漫画家名鑑500』アクア・プランニング、1992年発行、522 - 523頁
  2. ^ a b 「漫画家リレー訪問記・高橋陽一先生」『漫画新聞』日本漫画学院、1994年4月、5頁。
  3. ^ a b 『キャプテン翼』作者・高橋陽一「漫画家は引退」 体力の衰え実感…あす漫画連載43年に幕でネーム連載へ【コメントあり】”. ORICON NEWS. oricon ME (2024年4月3日). 2025年1月29日閲覧。
  4. ^ 葛飾区史 | 葛飾ゆかりの人 葛飾区 2024年11月11日閲覧
  5. ^ a b まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、224頁
  6. ^ 小粥よう子 (2021年7月5日). “今年も生きて誕生日を迎えられました~祝!”. Facebook. 2021年11月6日閲覧。
  7. ^ リアル「南葛SC」誕生の原点―ー高橋陽一氏が抱く“おらが街のクラブ”への想い”. サッカーダイジェストweb (2019年3月27日). 2024年1月28日閲覧。
  8. ^ 朝日新聞:マンガの力 (4) キャプテン翼の「洗脳」(中) - ウェイバックマシン(2013年7月28日アーカイブ分)
  9. ^ 「オリンピックすべてビデオに収める。漫画に描いてみたい種目がいっぱいで大感激<陽一>」『週刊少年ジャンプ第38号』集英社、1984年9月3日、354頁。
  10. ^ 「今年こそ!今年こそ僕の日ハムにがんばってもらいたい!絶対優勝<陽一>」『週刊少年ジャンプ第22号』集英社、1987年5月11日、368頁。
  11. ^ 『キャプテン翼』の高橋陽一先生による“大谷翔平”グッズが4/20発売!”. 北海道日本ハムファイターズ (2017年4月17日). 2017年5月23日閲覧。
  12. ^ 「西武球場で野球の試合 打撃も2安打と絶好調<陽一>」『週刊少年ジャンプ第23号』集英社、1985年5月27日、350頁。
  13. ^ 「うちのチームの投手は次原隆二先生 コントロールが抜群<陽一>」『週刊少年ジャンプ第45号』集英社、1986年10月20日、352頁。
  14. ^ 「集英社のバスケ部に混ざって6年、大会でしっかり汗かいてます<陽一>」『週刊少年ジャンプ第21号』集英社、1986年5月5日、352頁。
  15. ^ 「バスケチーム仲間入りの次原先生は経験者だからとても上手い<陽一>」『週刊少年ジャンプ第23号』集英社、1986年5月19日、352頁。
  16. ^ 「ファミコンルームランナーで体力増強中!春からの野球&テニスシーズンに備えるぞ<陽一>」『週刊少年ジャンプ第10号』集英社、1987年2月16日、368頁。
  17. ^ grenoblefoot38.fr Grenoble Foot 38 _ Site Officiel du Grenoble Foot 38” (フランス語). 2024年1月28日閲覧。。なお、グルノーブルのオーナーは日本企業である。
  18. ^ 漫画家の高橋陽一氏が翼君、楓ちゃんとともになでしこを激励 - ウェイバックマシン(2011年7月20日アーカイブ分)
  19. ^ 葛飾区名誉区民の紹介”. 葛飾区. 2022年1月1日閲覧。
  20. ^ 第19回日本サッカー殿堂 掲額者決定|JFA|公益財団法人日本サッカー協会” (2023年6月22日). 2024年1月28日閲覧。
  21. ^ 高橋陽一さん、漫画家引退は「キャプテン翼」を続けるため…オーバーヘッドが連載終了危機救った”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2024年5月9日). 2025年1月28日閲覧。
  22. ^ 第9回『澄和Futurist賞』(顕彰事業)”. 一般財団法人 澄和. 2024年10月9日閲覧。
  23. ^ “パラリンピックジャンプ発売、井上雄彦の車いすバスケ観戦記や猿渡哲也らの連載”. コミックナタリー (ナターシャ). (2017年11月29日). https://natalie.mu/comic/news/258757 2021年8月18日閲覧。 
  24. ^ “高橋陽一がブラインドサッカーを描く、「ブラサカブラボー」が単行本に”. コミックナタリー (ナターシャ). (2021年8月18日). https://natalie.mu/comic/news/441338 2021年8月18日閲覧。 
  25. ^ Inc, Aetas. “「三国志大戦」,バージョンアップを本日実施。新カードや義勇ロードの新章が追加”. 4Gamer.net. 2024年8月3日閲覧。
  26. ^ a b 『キャプ翼』高橋陽一がWOWOWサッカーのオリジナルキャラ“カラマール”を描き下ろし”. TV LIFE web (2020年4月15日). 2021年3月22日閲覧。
  27. ^ 副キャプテン自由化 - ウェイバックマシン(2016年2月24日アーカイブ分)
  28. ^ 最新テレビコマーシャルを2016年1月1日(金)から放映開始”. 東京ガス (2015年12月24日). 2025年3月26日閲覧。
  29. ^ 1月29日(水)よる7時54分からの笑コラは、新コーナー大変身の旅が始動!”. 1億人の大質問!?笑ってコラえて!. 日本テレビ (2025年1月29日). 2025年1月29日閲覧。
  30. ^ 11話「高橋陽一登場!」
  31. ^ 週刊少年ジャンプ特別編集『全史『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』 剣心華伝』集英社、1999年12月22日初版発行、ISBN 978-4087820379、144 - 145頁
  32. ^ 伊藤彩子『まんが原作者インタビューズ』同文書院、1999年発行、ISBN 9784810376616、231頁
  33. ^ 「高橋陽一先生のアシスタント時代は好き勝手やっていた」 戸田邦和(漫画家)インタビュー前編”. サッカーキング (2013年12月4日). 2017年5月23日閲覧。

注釈

  1. ^ 漫画作品の創作活動は2025年1月現在でも「キャプテン翼ライジングサンFINALS」のWEB発表などで続いているが、高橋本人が「漫画家の引退」を明言している(「キャプテン翼マガジンvol.20」74ページ)ため、本稿でも存命中は元漫画家とする。
  2. ^ 2024年7月より、ネット配信にて週刊連載開始。また、メディアで紹介される際に「漫画家」と肩書きがついている。

外部リンク


高橋陽一(たかはし よういち)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 05:02 UTC 版)

そしてボクは外道マンになる」の記事における「高橋陽一(たかはし よういち)」の解説

1979年、魔死利戸が『ドーベルマン刑事』アシスタントとして連れてきた、当時19歳新人眼鏡をかけた腰が低い青年

※この「高橋陽一(たかはし よういち)」の解説は、「そしてボクは外道マンになる」の解説の一部です。
「高橋陽一(たかはし よういち)」を含む「そしてボクは外道マンになる」の記事については、「そしてボクは外道マンになる」の概要を参照ください。

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