賀川太郎とは? わかりやすく解説

賀川太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/18 09:33 UTC 版)

賀川 太郎
名前
カタカナ カガワ タロウ
ラテン文字 KAGAWA Taro
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1922-08-09) 1922年8月9日
出身地 兵庫県神戸市
没年月日 (1990-03-06) 1990年3月6日(67歳没)
選手情報
ポジション FW
ユース
神戸一中
神戸経済大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
田辺製薬
大阪サッカークラブ
代表歴
1951-1954[1] 日本 5 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990年3月6日)は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手

経歴

神戸一中(現・県立神戸高校)、神戸経済大学(現・神戸大学)を経て、1948年田辺製薬サッカー部に入団。全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝を遂げた田辺製薬の黄金期を支えた一人だった。同時期の天皇杯全日本サッカー選手権大会には大阪クラブの選手として出場し、1951年から3年連続で準優勝している。

日本代表としてもワールドカップ・スイス大会予選など、国際Aマッチ5試合に出場した[1]

2006年に第2回日本サッカー殿堂入りした。サッカーライターの賀川浩は実弟である。

所属クラブ

経歴

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 5試合 0得点(1951-1954)[1]


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1951 2 0 4 2 6 2
1952 0 0 1 1 1 1
1953 0 0 3 0 3 0
1954 3 0 0 0 3 0
通算 5 0 8 3 13 3

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1951年03月07日 ニューデリー  イラン △0-0(延長) 二宮洋一 アジア大会
2. 1951年03月08日 ニューデリー  イラン ●2-3 アジア大会
3. 1954年03月07日 東京都 明治神宮外苑競技場  韓国 ●1-5 竹腰重丸 ワールドカップ予選
4. 1954年03月14日 東京都 明治神宮外苑競技場  韓国 △2-2 ワールドカップ予選
5. 1954年05月01日 マニラ  インドネシア ●3-5 アジア大会

出典

  1. ^ a b c d “賀川 太郎”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ka/taro_kagawa.html 

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