賀川滋子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/12 02:32 UTC 版)
かがわ しげこ
賀川 滋子
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生誕 | 1911年5月28日![]() |
国籍 | ![]() |
著名な実績 | |
賀川 滋子(かがわ しげこ、1911年(明治44年)5月28日 - )は日本の産婦人科医、スーパーセンテナリアン。奈良県大和郡山市在住の長寿の女性。
経歴
江戸時代から続く医者の家の生まれ[1]。93歳で死去した産婦人科医の叔父は80歳を過ぎても診察を行っていた[2][3][4]。1934年(昭和9年)3月 、大阪女子高等医学専門学校(現:関西医科大学)卒業[5]。大和郡山市で産婦人科医として長年活動。
太平洋戦争中は大阪市内の病院に勤務し[6]、86歳まで現役であった[7]。2021年(令和3年)109歳の時には東京オリンピックの聖火リレーで聖火ランナーを務めた。
漢字などの勉強をし、毎朝新聞を読む生活をしている。長生きの秘訣は「一生懸命勉強すること」「好き嫌いなく食べること」を挙げ、「病気にならずにまだまだ頑張りたい」としている[8]。
チョコレートが好物とし、毎日板チョコ半分ほどを食べている。食べ過ぎないようにして、まだまだ元気でいたいとも話す。
113歳となっても、週に3度、介護施設に通って習字やパズルゲームを楽しんでいる[7]。
2025年(令和7年)7月29日、大分県の廣安美代子が死去したことにより、114歳62日で国内最高齢者となる[10]。
人物
趣味は古典芸能鑑賞[5]。
家族・親族
賀川家は代々、生駒郡郡山町雑穀町(現:大和郡山市雑穀町)にて産婦人科・内科の賀川医院を経営している。
- 5世祖父・啓齋(生年不明 - 文政12年11月7日〈1829年12月6日))
- 高祖父・立庵(生年不明 - 天保4年7月6日〈1833年8月12日))
- 曽祖父・啓治(生年不明 - 明治7年〈1874年〉7月1日) 立庵の嗣子[11]。
- 祖父・柳碩(弘化2年〈1845年〉- 大正10年〈1921年〉9月)
- 叔父・見龍(明治16年〈1883年〉3月6日 - 昭和51年〈1976年〉11月2日)
略歴
- 1934年(昭和9年)3月 - 大阪女子高等医学専門学校(現:関西医科大学)卒業[5]。
- 1934年(昭和9年)4月~1936年(昭和11年)3月 - 大阪市立南市民病院(現:大阪公立大学医学部附属病院)産婦人科勤務[5]。
- 1936年(昭和11年)4月~1937年(昭和12年)6月 - 同病院内科勤務[5]。
- 1937年(昭和12年)7月~ - 開業[5]。
脚注
- ^ “109歳の元産婦人科医、車いすで聖火つなぐ”. 読売新聞オンライン (2021年4月13日). 2025年7月31日閲覧。
- ^ 『大和郡山市医師会』大和郡山市医師会、1989年、389頁 。
- ^ a b c d e 『大和郡山市医師会史』大和郡山市医師会、1989年、103-104頁 。
- ^ a b c 『大和郡山市医師会史』大和郡山市医師会、1989年、527-528頁 。
- ^ a b c d e f 『大和郡山市医師会史』大和郡山市医師会、1989年 。
- ^ “「平和な世界を」109歳聖火ランナー賀川滋子さん 灯つなぐ”. 毎日新聞. 2025年7月30日閲覧。
- ^ a b https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20240919/2050016933.html
- ^ 産経新聞 (2023年9月25日). “「ありがとうございます」 奈良県最高齢112歳 賀川さんに祝い状”. 産経新聞:産経ニュース. 2025年7月30日閲覧。
- ^ “奈良県内最高齢111歳・賀川さんの健康長寿たたえる|奈良新聞デジタル”. www.nara-np.co.jp. 2025年7月30日閲覧。
- ^ “国内最高齢者 ご逝去について”. 厚生労働省 (2025年7月30日). 2025年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『大和郡山市医師会史』大和郡山市医師会、1989年、39頁 。
- ^ 『大和郡山市医師会史』大和郡山市医師会、1989年、47頁 。
- ^ a b 奥田信義 編『現代人物誌 第2編』奈良新報社、1927年、219頁 。
参考文献
記録 | ||
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先代 廣安美代子 |
![]() 2025年7月29日 - |
次代 記録保持者 |
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