及川マツノ
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及川 マツノ(おいかわ マツノ、1889年〈明治22年〉2月20日 - 2002年〈平成14年〉1月3日)は、長寿日本一であった岩手県の女性。
来歴
1918年から大船渡市内の自宅で旅館業を始める[2][3]。夫利三郎との間には1男2女をもうけた。利三郎の死後は女手一つで子供たちを育てた。
1999年に110歳を迎えた[4]。東北地方では最高齢となり、全国でも4番目の長寿者になった[4][5]。同年9月には自宅に親族や増田知事などが集い、鶴があしらわれた銀杯などが贈られた[5]。
109歳頃に風邪を引いたがその後も元気で、朝7時に起床し、夜9時に就寝の生活であった[6]。2000年12月には入れ歯が喉に詰まり、一時呼吸停止するなど入院もしたが回復。2001年9月には親族が集まり、梅酒で乾杯するなど祝福した[2]。2001年8月に長寿日本一になったが、当時は本郷かまとに次いで日本で2番目の長寿者とされた。2001年11月には大船渡市より特別表彰を受けた。
2002年1月3日午前2時、心不全のため自宅で死去[7][1]。112歳没。当時は本郷かまとに次いで全国2位と報じられた[7][1]。
2002年2月には遺族が大船渡市に寄付金を送り、それを元にして百十二基金を創設した[8]。
人物
- 好物は梅酒、パン、フライドチキンなど[9]。特に梅酒は「健康の源」と評し、体調を崩しても欠かさず愛飲した[10][9]。112歳になっても医師からは「内蔵はまだ60代の若さ」と太鼓判を押された[3]。
- 3人の子どものほか、孫が7人、ひ孫が14人[注 1]いる[1]。毎年敬老の日になると孫やひ孫も駆けつけ、長寿を祝った[9]。
- 晩年は長男夫婦と暮らした[9][3]。来客の際には、座布団を出すよう家族に伝えるなど気配りに徹した[9]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e 「112歳 全国2位・本県最高齢 及川マツノさん死去」『岩手日報』2002年1月4日、朝刊、30面。オリジナルの2005年9月9日時点におけるアーカイブ。2025年4月14日閲覧。
- ^ a b 河北新報、2001年9月16日「敬⽼の⽇/112歳梅酒で乾杯/岩⼿県内最⾼齢・及川マツノさんの⻑寿祝う」
- ^ a b c 「112歳 地域の誇りです 大船渡市市政功労 及川マツノさん(長寿全国2位)特別表彰 「福祉都市の象徴」」『岩手日報』2001年10月27日、朝刊、23面。オリジナルの2005年4月9日時点におけるアーカイブ。2025年4月14日閲覧。
- ^ a b 「おめでとう110歳 大船渡の及川マツノさん 東北最高齢」『岩手日報』1999年2月21日、朝刊、1面。
- ^ a b 「110歳お祝いにほお染め 全国4位 大船渡の及川マツノさん ひ孫に囲まれご機嫌」『岩手日報』1999年9月16日、朝刊、16面。オリジナルの2005年11月25日時点におけるアーカイブ。2025年4月14日閲覧。
- ^ 河北新報、2000年2月21日「全国3位、東北最長寿/大船渡の及川マツノさん、111歳の誕生日」
- ^ a b 河北新報、2002年1月4日「及川マツノさん(おいかわ・まつの=112歳、東北最高齢者)」
- ^ 「高齢者福祉へ基金創設 及川マツノさん遺族が寄付 大船渡市 100歳以上対象に支給」『岩手日報』2002年4月19日、朝刊、15面。
- ^ a b c d e 「県内の100歳以上 女性の長寿化際立つ 10年間で4.3倍伸びる 全国3位の及川マツノさん 大船渡 夏風邪も回復し大相撲を楽しむ」『岩手日報』2000年9月9日、朝刊、29面。オリジナルの2005年9月3日時点におけるアーカイブ。2025年4月14日閲覧。
- ^ 「高齢化なお加速 県内 長寿100歳 過去最高の138人に 福祉充実求められる 県内の最高齢者 108歳及川マツノさん 梅酒で毎日元気」『岩手日報』1997年9月10日、朝刊、19面。
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