臼井ます
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 15:09 UTC 版)
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うすい ます
臼井 ます
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生誕 | 1910年12月18日![]() |
死没 | 2025年5月21日(114歳没)![]() |
著名な実績 |
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配偶者 | 臼井重雄 |
子供 | 6人 |
臼井 ます(うすい ます、1910年〈明治43年〉12月18日 - 2025年〈令和7年〉5月21日)は、日本のスーパーセンテナリアン。静岡県駿東郡小山町在住の長寿の女性。2025年5月20日から死去までの1日間、日本最高齢であった[2][3]。
人物
静岡県駿東郡小山町に米屋を営む両親の7人兄弟の次女として生まれた[4]。戸板裁縫学校(現・戸板女子短期大学)で学び、その後、建設会社を営む臼井重雄と結婚[5]。夫婦は5男1女の子宝に恵まれ、2024年9月時点で孫10人、ひ孫11人がいた[5]。また、臼井の兄弟のうち、姉は105歳まで、弟は90代まで存命で自身の兄弟にも長寿の者がいた[4]。
100歳で老人ホームに入所したが、110歳頃までは洗濯、裁縫、化粧、着替えなどすべて自身でこなし、自立した生活を送っていた[4]。
2014年9月12日、小山町長より長寿の祝福を受ける[4]。その後、2016年9月と2019年9月にも同様に祝福を受けた[4]。
2022年9月、静岡県で2番目に高齢であると発表され、同年12月25日には、静岡県の最高齢者となった[4]。
2024年9月にも町長より長寿の祝福を受けた[5][6]。その際に、「みんなに祝っていただき、ありがとうございます」と感謝の言葉を述べた[5]。また、「今まで病気をしたことがない」事や「百人一首が得意」などと話していた[5][6]。
甘いものが大好物で、特に三幸製菓製造の「雪の宿」がお気に入りのお菓子であった[4]。
2025年5月20日に愛知県の近藤ミネの死去に伴い、114歳153日で国内最高齢者となったが、翌5月21日午前9時17分に老衰のため、御殿場市内の施設で死去した[2][3][7]。これは日本最高齢だった人物が最短で死去した記録となった[4]。臼井の死去により、新たな日本の最高齢者は大分県の廣安美代子となった[2]。
脚注
出典
- ^ 「国内最高齢者 ご逝去について」厚生労働省
- ^ a b c “国内最高齢者 ご逝去について”. 厚生労働省 (2025年5月21日). 2025年5月22日閲覧。
- ^ a b “国内最高齢114歳の臼井ますさん死去 老衰のため 前日に最高齢になったばかり=静岡・小山町【速報】 | 静岡のニュース | SBSNEWS | 静岡放送 (1ページ)”. 静岡のニュース | SBSNEWS | 静岡放送 (2025年5月21日). 2025年5月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Masu Usui” (英語). LongeviQuest. 2025年5月23日閲覧。
- ^ a b c d e “県内最高齢者祝う 小山町長、113歳臼井さん訪問 /静岡”. 毎日新聞 (2024年9月25日). 2025年5月22日閲覧。
- ^ a b “国内最高齢になった翌日…明治生まれの114歳女性が老衰で亡くなる 静岡・小山町”. LOOK 静岡朝日テレビ (2025年5月21日). 2025年5月22日閲覧。
- ^ “愛知の114歳女性が死去 最高齢は大分の広安美代子さん:東京新聞デジタル”. 東京新聞デジタル (2025年5月21日). 2025年5月22日閲覧。
関連項目
記録 | ||
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先代 近藤ミネ |
![]() 2025年5月20日 - 2025年5月21日 |
次代 廣安美代子 |
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