伊都ヨシギク
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伊都 ヨシギク(いと ヨシギク、1856年8月3日[1] (安政3年7月3日) - 1966年(昭和41年)11月26日[2][3])は、女性長寿日本一だった和歌山県の女性[4]。
伊都の存命中は、小林やすや中村重兵衛が長寿日本一とされたため、生前日本一とされることはなかった。しかしながら、GRG及びギネス世界記録で認められている記録としては伊都が日本最高齢であった。1966年11月に110歳と115日で死去。晩年、自宅では長女に面倒を見てもらいながら娘や孫と会うことを楽しみにしていた[5]。
また、スーパーセンテナリアンとして確実な証拠がある日本人で初めて110歳を迎えた人物である[6]。
脚注
- ^ ただし山日年鑑 1965年版では安政3年8月18日とあり
- ^ “Yoshigiku Ito” (英語). ジェロントロジー・リサーチ・グループ. 2024年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月15日閲覧。
- ^ “Deaths in the 1960s (in Chronological Order) (as of September 7, 2014)” (英語). ジェロントロジー・リサーチ・グループ. 2015年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月29日閲覧。
- ^ ジェロントロジー・リサーチ・グループのリスト上では男性と表記されているものもあるが、単なる記入ミスだと思われる。
- ^ 「学校教育講話集」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ ジェロントロジー・リサーチ・グループ (2025年1月27日). “TList of validated supercentenarians in Japan” [日本で認定されたスーパーセンテナリアンのリスト]. 2025年2月15日閲覧。
記録 | ||
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先代 (不明) |
![]() ? - 1973年7月20日 |
次代 梅田ミト |
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