津田幸男とは? わかりやすく解説

津田幸男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 07:12 UTC 版)

津田 幸男
名前
カタカナ ツダ ユキオ
ラテン文字 TSUDA Yukio
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1917-08-15) 1917年8月15日
出身地 兵庫県神戸市
没年月日 (1979-04-17) 1979年4月17日(61歳没)
選手情報
ポジション GK
ユース
第一神戸中学校
慶應義塾大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
慶應BRB
東日本重工業
代表歴
1938-1953 日本 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

津田 幸男(つだ ゆきお、1917年8月15日[1] - 1979年4月17日)は、日本の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはGK兵庫県神戸市出身。

経歴

第一神戸中学校時代に二宮洋一直木和らと共に1933年に全国中等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)で優勝。卒業後には二宮と共に慶應義塾大学へ進学し、体育会ソッカー部へ入部。レギュラーの座を掴むと関東大学サッカーリーグ戦4連覇(1937年、1938年、1939年、1940年)、1937年の全日本総合蹴球選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝、慶應BRB(現役選手とOBからなる混成チーム)の一員として1936年、1939年、1940年の全日本総合蹴球選手権大会 優勝に貢献した。

1941年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、三菱重工業に入社。創設されて間もないサッカー部の主力選手として活躍した。

日本代表としては1938年4月7日のイズリントン・コリンシャンズ(イングランド)戦で代表デビューを飾ると、代表の正GKに定着し、1939年の日満華交歓競技大会、1940年の東亜競技大会に出場した。第二次世界大戦の影響により、選手キャリアを中断したが、戦後の1951年に日本が国際舞台への復帰を認められると代表復帰を果たし、同年3月のアジア競技大会に出場するなど国際Aマッチ4試合に出場した。

晩年は慶應義塾大学体育会ソッカー部OB会会長を務めた。1979年4月17日、パーキンソン病により死去、享年61。[2]

所属クラブ

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 4試合 0得点(1940-1951)


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1938 0 0 1 0 1 0
1939 0 0 3 0 3 0
1940 1 0 2 0 3 0
1941 0 0 0 0 0 0
1942 0 0 0 0 0 0
1943 0 0 0 0 0 0
1944 0 0 0 0 0 0
1945 0 0 0 0 0 0
1946 0 0 0 0 0 0
1947 0 0 0 0 0 0
1948 0 0 0 0 0 0
1949 0 0 0 0 0 0
1950 0 0 0 0 0 0
1951 3 0 5 0 8 0
1952 0 0 1 0 1 0
1953 0 0 1 0 1 0
通算 4 0 13 0 17 0

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1940年06月16日 兵庫県 甲子園南運動場  フィリピン ○1-0 竹腰重丸 奉祝東亜競技大会
2. 1951年03月07日 ニューデリー  イラン △0-0(延長) 二宮洋一 アジア大会
3. 1951年03月08日 ニューデリー  イラン ●2-3 アジア大会
4. 1951年03月09日 ニューデリー  アフガニスタン ○2-0 アジア大会

脚注

出典

  1. ^ 国際親善試合 1939.08.27 大連”. 日本サッカー協会. 2013年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月31日閲覧。
  2. ^ サッカーマガジン1979年6月10日号P34

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