シベリア鉄道の建設とは? わかりやすく解説

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シベリア鉄道の建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 06:16 UTC 版)

東清鉄道」の記事における「シベリア鉄道の建設」の解説

ロシア帝国西部鉄道網極東ロシア港町ウラジオストクを結ぶ鉄道の建設1891年始まり東西から工事進められた。1897年ウスリー線(ウラジオストクハバロフスク)が開通、続く1898年には中部シベリア線(オビイルクーツク)、1900年にはザバイカル線(ムィソーヴァヤ〜スレチェンスク)もそれぞれ開通したバイカル湖南岸断崖絶壁区間数百km続く難所工事大幅に遅れたこのため暫定的にバイカル湖横断する鉄道連絡船開設して鉄道車両輸送することになった。この区間1904年完成最後まで未完成区間として残っていたアムール川を渡るハバロフスク橋1916年完成した

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シベリア鉄道の建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:07 UTC 版)

セルゲイ・ウィッテ」の記事における「シベリア鉄道の建設」の解説

シベリア鉄道計画実行移されたのは、アレクサンドル3世計画決定から9年後の1891年のことであったアレクサンドル3世は、この年5月ロシア皇太子ニコライ(のちのニコライ2世)をシベリア鉄道起工式参加させた。皇帝は、皇太子鉄道建設結びつけることによって、その建設確実なものにしなければならない考えたであったアレクサンドル3世セルゲイ・ウィッテを、1892年2月には運輸通信大臣任じて鉄道建設にあたらせ、ロシアの鉄道網の統制関税改革に関する権限とをあたえた。これについては「ロシアの鉄道はおそらく(当時世界で最も経済的に運営されている鉄道であろう」との評価がある。鉄道による利益きわめて高く政府対し年間1億ルーブル以上を計上している(ただし、会計上の欠陥により正確な金額不明である)。 皇帝はさらに半年後の1892年8月それまで均衡財政重視して鉄道建設難色示してきたイワン・ヴィシネグラツキー蔵相更迭し、ウィッテその後任にすえた。ロシアでは、1905年まで産業商取引に関する案件大蔵省管轄するところであったが、ウィッテ1903年までの11年蔵相地位にあった。彼は以降予算財政通貨最高責任者として海外貿易関税国内交易産業をその管理下に置いたウィッテ皇帝アレクサンドルに対して10年間でロシアヨーロッパ経済大国にすることを約束したウィッテ蔵相となってまず取り組んだのはシベリア鉄道建設である。彼はシベリア鉄道を「ヨーロッパとアジア東方との交通方向における変革」「諸国家間の経済関係根本的変革」をもたらすものとしてとらえ、ロシアアジアに近い「大生産者・消費者」として「変革」からの利益をおおいに受けるものと考えたウィッテは、シベリア鉄道事業推進のため、「シベリア鉄道特別委員会」を設置し、この委員会議長には、ウィッテ提案もとづいて勅命によって皇太子ニコライ任命された。これは、他の大臣たちとの折衝スムーズに進めるうえで大きな権限をもち、鉄道敷設にかかわる立法さえ可能であった。しかし、皇帝後ろ盾ありながらも、このような組織が必要であったということ自体シベリア鉄道建設にはさまざまな困難がともなっていたことを意味している。莫大なコスト難工事さることながら地主貴族中心に根強い抵抗繰り返されたが、その理由は、鉄道によって東方への移民容易になればヨーロッパ・ロシア地価が下がるというものであったウィッテは、1892年11月工事計画全体像提案したが、これはまさに国家プロジェクト評すべき大事業であったウィッテ鉄道建設に際して産業人材のための教育システム構築主張し、特に商業を担う人材学校の開設唱えたその結果創立され学校実際に存在している。鉄道建設事業には、建設自体工業分野での需要産み出しロシア工業化大きく進展させる効果があった。シベリア鉄道は、5フィート間隔広軌建設された。日本イギリス朝鮮半島中国大陸建設した鉄道採用されゲージは4フィート8.5インチ標準軌であり、この相違は、のちにロシア日英両国との間に極東におけるそれぞれの勢力範囲をめぐる軋轢惹起することとなった1894年後述するように彼はドイツ帝国との10年間の商業協定ロシア有利な条件締結したウィッテ取り立てたロシア皇帝アレクサンドル3世は、1894年11月1日ユリウス暦10月20日)、逝去した。皇帝は、死の床息子皇太子ニコライに、最も有能な大臣であるウィッテのことばによく耳を傾けよう言残している。

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