シベリア鉄道の建設
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ロシア帝国西部の鉄道網と極東ロシアの港町ウラジオストクを結ぶ鉄道の建設は1891年に始まり、東西から工事が進められた。1897年にウスリー線(ウラジオストク〜ハバロフスク)が開通、続く1898年には中部シベリア線(オビ〜イルクーツク)、1900年にはザバイカル線(ムィソーヴァヤ〜スレチェンスク)もそれぞれ開通した。バイカル湖南岸は断崖絶壁の区間が数百km続く難所で工事は大幅に遅れた。このため、暫定的にバイカル湖を横断する鉄道連絡船を開設して鉄道車両を輸送することになった。この区間は1904年完成。最後まで未完成区間として残っていたアムール川を渡るハバロフスク橋は1916年に完成した。
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シベリア鉄道の建設
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「セルゲイ・ウィッテ」の記事における「シベリア鉄道の建設」の解説
シベリア鉄道の計画が実行に移されたのは、アレクサンドル3世の計画決定から9年後の1891年のことであった。アレクサンドル3世は、この年の5月、ロシア皇太子ニコライ(のちのニコライ2世)をシベリア鉄道の起工式に参加させた。皇帝は、皇太子を鉄道建設に結びつけることによって、その建設を確実なものにしなければならないと考えたのであった。 アレクサンドル3世はセルゲイ・ウィッテを、1892年2月には運輸通信大臣に任じて鉄道建設にあたらせ、ロシアの鉄道網の統制権と関税改革に関する権限とをあたえた。これについては「ロシアの鉄道はおそらく(当時)世界で最も経済的に運営されている鉄道であろう」との評価がある。鉄道による利益はきわめて高く、政府に対し、年間1億ルーブル以上を計上している(ただし、会計上の欠陥により正確な金額は不明である)。 皇帝はさらに半年後の1892年8月、それまで均衡財政を重視して鉄道建設に難色を示してきたイワン・ヴィシネグラツキー蔵相を更迭し、ウィッテをその後任にすえた。ロシアでは、1905年まで産業と商取引に関する案件は大蔵省の管轄するところであったが、ウィッテは1903年までの11年間蔵相の地位にあった。彼は以降、予算、財政、通貨の最高責任者として海外貿易、関税、国内交易・産業をその管理下に置いた。ウィッテは皇帝アレクサンドルに対して、10年間でロシアをヨーロッパの経済大国にすることを約束した。 ウィッテが蔵相となってまず取り組んだのはシベリア鉄道建設である。彼はシベリア鉄道を「ヨーロッパとアジア的東方との交通の方向における変革」「諸国家間の経済関係の根本的変革」をもたらすものとしてとらえ、ロシアはアジアに近い「大生産者・消費者」として「変革」からの利益をおおいに受けるものと考えた。ウィッテは、シベリア鉄道事業推進のため、「シベリア鉄道特別委員会」を設置し、この委員会の議長には、ウィッテの提案にもとづいて勅命によって皇太子ニコライが任命された。これは、他の大臣たちとの折衝をスムーズに進めるうえで大きな権限をもち、鉄道敷設にかかわる立法さえ可能であった。しかし、皇帝の後ろ盾がありながらも、このような組織が必要であったということ自体、シベリア鉄道建設にはさまざまな困難がともなっていたことを意味している。莫大なコストや難工事もさることながら、地主貴族を中心に根強い抵抗が繰り返されたが、その理由は、鉄道によって東方への移民が容易になればヨーロッパ・ロシアの地価が下がるというものであった。 ウィッテは、1892年11月に工事計画の全体像を提案したが、これはまさに国家プロジェクトと評すべき大事業であった。ウィッテは鉄道建設に際して産業人材のための教育システムの構築を主張し、特に商業を担う人材の学校の開設を唱えた。その結果、創立された学校も実際に存在している。鉄道建設事業には、建設自体が工業分野での需要を産み出し、ロシアの工業化を大きく進展させる効果があった。シベリア鉄道は、5フィート間隔の広軌で建設された。日本とイギリスが朝鮮半島や中国大陸に建設した鉄道で採用されたゲージは4フィート8.5インチの標準軌であり、この相違は、のちにロシアと日英両国との間に極東におけるそれぞれの勢力範囲をめぐる軋轢を惹起することとなった。 1894年、後述するように彼はドイツ帝国との10年間の商業協定をロシアに有利な条件で締結した。ウィッテを取り立てたロシア皇帝アレクサンドル3世は、1894年11月1日(ユリウス暦10月20日)、逝去した。皇帝は、死の床で息子の皇太子ニコライに、最も有能な大臣であるウィッテのことばによく耳を傾けるよう言い残している。
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