シベリア鉄道の他国との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 13:59 UTC 版)
「シベリア鉄道」の記事における「シベリア鉄道の他国との関係」の解説
シベリア鉄道はドイツ、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタン、モンゴル、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と国際列車を直通運転している。広大なロシアを走るために国際列車もヨーロッパとアジアにまたがって運行する列車が多い。 シベリア鉄道は日本の歴史上にも重要な役割を果たしてきた。金本位制を採用していた時期には日本の在外決済機関は全て英国ロンドンにあったことから、国際決済に要する手形は全てシベリア鉄道で輸送されており、国際金融の重要な生命線となっていた。日本は南樺太と朝鮮半島を統治下としていた頃はロシアとは陸で繋がっており、朝鮮からシベリア鉄道経由で欧州行国際列車が走っていた。 また第二次世界大戦勃発までは、日本各地(途中は船へ積み替え)から朝鮮(朝鮮総督府鉄道)、日本の実質的支配下であった満洲国を含む中華民国(南満州鉄道)、そして欧州のローマ、ロンドンなどに至るまでの国際連絡運輸が行われており、それら各地への切符を主要駅で買うことができた。松岡洋右外相は日ソ中立条約を結びシベリア鉄道で帰朝する際には、スターリンに駅頭で見送られた。日本が初めて参加したストックホルムオリンピックでは日本選手団は時間を短縮するためシベリア鉄道を使い、モスクワ経由でスウェーデンの首都ストックホルムへと向かった。 1988年に日本へのオリエント急行の輸送でシベリア鉄道が利用された。ゴルバチョフのペレストロイカで冷戦末期だったために西ドイツ、東ドイツ経由が許された。 近年ロシアで日本車の需要や中華人民共和国の経済成長でシベリア鉄道の貨物の需要が高まっており、中華人民共和国とドイツを結ぶ初の貨物列車「北京 - ハンブルク コンテナ特急」が運行された。BRICsのロシアや中華人民共和国と、NEXT11の韓国は直通運転を試みているが、北朝鮮が直通運転の障壁であり、ロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領と李明博韓国大統領は対北朝鮮政策やシベリア開発を会談した。 北京 - モスクワの列車は2種類存在しており、1つはウランバートル経由の中華人民共和国車両で緑色の車体、もう1つは満州里経由のロシア車両であり、臙脂と白色の新型客車で内装はかなり豪華である。ロシア・モンゴルと中華人民共和国・北朝鮮は線路の幅(軌間)が異なるため国境付近のザバイカリスク駅で台車ごと交換する。また国ごとに食堂車は付け替えられる。つまり中華人民共和国、モンゴル、ロシアの食事が楽しめる。 ちなみにこの北京 - モスクワは旧ソ連時代から走っており、中ソ対立で関係が悪くなっても運休することなく走っていた。中華人民共和国と直通があるシベリア鉄道の駅名は、中国語では基本的にそのまま当て字が多い。例えば、符拉迪沃斯托克=ウラジオストク、赤塔II=チタII、泰謝特=タイシェトなどとなる。満洲里の隣の駅のザバイカリスク駅は「后貝加尔」と中国人に読みやすくするための短い当て字であり、ノヴォシビルスクはロシア語で「新しいシベリア」という意味であるため中国語では「新西伯利亜」という漢字に合った当て字であり、中国語の当て字の難しさを窺わせる。 世界最長距離列車は前述の「ロシア号」モスクワ - ハサン - 平壌の列車だったが、経済的に貧しい北朝鮮国内での線路整備の悪化で、北朝鮮区間の運行は打ち切られた。ただし海外サイトではつい最近でもロシア号に連結されている1両編成の北朝鮮客車がロシア語・朝鮮語の「平壌-モスクワ」というサボを掲げながらロシアのハサンまで走っており、そこから平壌行きの北朝鮮車両が接続していると推測される。北朝鮮の金正日総書記も飛行機利用を避け、シベリア鉄道を経由してモスクワまで特別列車で訪問したことがある。 53・54列車のハリコフ(ウクライナ) - ウラジオストクの列車が9657kmの現在運行中の世界最長距離列車でウクライナ車両(ウクライナ国旗色)を使用しており、極東ロシアではるか東欧のウクライナからの客車が見られる。 しかし国際列車が走っているにもかかわらずシベリア鉄道沿線の駅名板などには英語表記がないため、ロシア語の会話集とシベリア鉄道の旅行ガイドブックがなければかなり苦労する。また車掌も乗客も英語が話せない人が多い。
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