学校の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 17:23 UTC 版)
1872年(明治5年)に学制が定められ、筑摩県による学校設立についての強い行政指導と市田地区住民の努力の結果、旧六か村に学校が設立された。吉田村には耕文小校が、下市田村には訓蒙小校が、牛牧村には広胖小校が、大島山村には明性小校、出原村には精勤小校が開設された。 訓蒙小校は1873年(明治6年)4月15日、下市田村の安養寺の本堂を借りて開設された。 1874年(明治7年)4月10日、永山盛輝県権令が管内学校巡回で訓蒙小校を視察、「教育が立県の柱、現今の急務は学校なり」と説く。学校の創設に当たって村民の協力が大きく、苦労して蓄えた貯金を寄付する人が多かった。「献金の多くは老人婦人など貧しい身でありながら、汗水流して働いた尊いお金を学校教育のために寄付した。これは富裕者の百金を出すより難しく、それだけ万人が見習うべき美挙…後世の亀鑑である」とたたえられ、15名に褒状と木杯が送られた。校舎を1875年(明治8年)に新築。
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