クインシージョーンズとは? わかりやすく解説

クインシー・ジョーンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 09:19 UTC 版)

クインシー・ジョーンズ
Quincy Jones
クインシー・ジョーンズ(1980年撮影)
基本情報
出生名 Quincy Delight Jones Jr.
別名 Q
生誕 (1933-03-14) 1933年3月14日
アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
死没 2024年11月3日(2024-11-03)(91歳没)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ジャズフュージョンソウルR&Bポップ・ミュージック
職業 音楽プロデューサー
担当楽器 トランペットシンセサイザーピアノドラムホルン
活動期間 1951年 - 2024年
レーベル マーキュリー
A&M
ワーナー・レコード/クウェスト・レコード
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クインシー・ジョーンズQuincy Jones1933年3月14日 - 2024年11月3日[1])は、アメリカ合衆国ジャズ・ミュージシャン、音楽プロデューサー作曲家、編曲家。マイケル・ジャクソンと共同プロデュースしたアルバムにて売上世界一のギネス記録保持者。1950年代から第一線で活躍を続け、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞している。ブラックミュージック界のみならず、アメリカのポピュラー音楽界における著名人の一人。また、米FOXテレビの人気コメディ番組『MADtv』の製作総指揮も担当。

来歴

生い立ち - 1970年代までの活動

イリノイ州シカゴ出身。少年時代にトランペットを学ぶ。10歳の頃にワシントン州に転居。そこで盲目のピアノ・プレーヤーの少年レイ・チャールズと知り合い、ともにバンド活動を始める。1951年バークリー音楽大学を卒業後、トランペット・プレーヤーとしてライオネル・ハンプトン楽団[2] に参加。そこでアレンジャーとしての才能を見出され、カウント・ベイシーデューク・エリントンら多くのジャズミュージシャンのアレンジを手がけるようになった。

1957年パリへ渡り、作曲・音楽理論などを学ぶ。フランスマーキュリー・レコード社長の知己を得てヨーロッパでも数々のビッグバンドを率いて活躍し、自身のバンドでも成功を収めた。1964年には、マーキュリー・レコードニューヨーク支社の副支社長となり、同時に映画音楽の分野へも活動の幅を広げる。

Logo of Quincy Jones Productions

1960年代からはプロデューサーとしても活躍し始め、1962年には『ビッグ・バンド・ボサ・ノヴァ』を発表。同アルバムに収録の「ソウル・ボサ・ノヴァ」は彼の代表曲[3]ともなり、1963年レスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティ」をビルボード1位にしたのをはじめ、マイルス・デイヴィスフランク・シナトラらのプロデュースを手がけた。また映画『夜の大捜査線』や『ゲッタウェイ』のサウンドトラックも評判となった。テレビ映画、ドラマでは『鬼警部アイアンサイド』や『ルーツ』のサウンドトラックも担当した。自身の作品でも数々のヒット作を残し、1978年にはファンキー・ディスコ調の『スタッフ・ライク・ザット』がポップ・チャートでもヒットした。

1978年、映画『ウィズ』の現場でマイケル・ジャクソンと出会う。

そこでマイケルが「誰か僕に合うプロデューサーはいないかな」と言ったところ「僕じゃ駄目かな?」とクインシーが返答したという逸話が残っている[4]

そうして翌年のアルバム『オフ・ザ・ウォール』よりタッグを組むことになる[4]

1980年代以降の活動

1981年、自身のアルバム『愛のコリーダ (The Dude)』収録の「愛のコリーダ」(チャス・ジャンケルによる1979年録音のアルバム『愛のコリーダ (Chas Jankel)』収緑曲のカヴァー。タイトルの由来は、大島渚監督の同名映画)は、ポップ・チャートでもヒットした。

1982年のマイケル・ジャクソンのアルバムスリラー』はギネス・ワールド・レコーズ史上最も売れたアルバムとして認定され、その地位は不動のものとなる[4]。同年、自主レーベルのクウェスト・レコードを設立、1985年までA&Mレコードが供給したが、後にワーナー・ブラザース・レコードに売却される。また同年には、アメリカのスーパースターが一堂に会して録音したチャリティー曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」のプロデュースも手がけた。

1987年のマイケル・ジャクソンのアルバム『バッド』も同一アルバムからのシングルカットが5つのナンバーワン・ヒットを記録[4]。このアルバムを最後にマイケルとのタッグを解消する。1989年に発表した自身のアルバム『バック・オン・ザ・ブロック』は、第33回グラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞し[5]、同作からは「アイル・ビー・グッド・トゥ・ユー」、「ザ・シークレット・ガーデン」、「トゥモロウ」といった全米トップ100ヒットが生まれた。

1990年代のクラブ・シーンでは、1960年代のファンキーなジャズ作品が再評価され、「ソウル・ボサ・ノヴァ英語版」は、映画『オースティン・パワーズ』のテーマ曲としても使用された。日本では、テレビ番組『ウイークエンダー』のジングルとして『鬼警部アイアンサイド』のテーマが再度注目された。

1994年度の第67回アカデミー賞においてジーン・ハーショルト友愛賞を受賞[6]

1999年、クインシー、ボブ・ゲルドフU2ボノが中心になって、マイケル・ジャクソン、マドンナスティングポール・マッカートニーほか多数のミュージシャンがサポートした世界の貧困救済を唱えるジュビリー2000の運動に参加した(2005年のチャリティ・コンサート、LIVE 8へと発展していった)。

2003年、クインシー・ジョーンズ生誕70周年ベスト・アルバムがリリースされる[7]

2006年、北京オリンピック組織委員会の芸術顧問になったが、後にダルフール紛争に関する中国政府の姿勢に抗議してクインシーは、スティーヴン・スピルバーグらと芸術顧問を辞任した[8]

晩年期のクインシー(2014年)

2007年に、2008年度のグラミー賞レコーディングアカデミー50回大記念の大使に任命された。「現在18,000ものミュージックメーカーで構成されたグラミー賞の創始者の一人として誇りに感じている」とコメントし、50周年を祝う数々のセレモニーを企画している。

2022年にはジム・キャリーと共に、ザ・ウィークエンドのアルバム『Dawn FM』の制作に関わった[9]

2024年11月17日、第15回ガバナーズ賞においてアカデミー名誉賞第97回)の授与が発表されていたが[6]、同年11月3日の夜、ロサンゼルスのベルエア英語版地区にある自宅で死去。91歳没[10]。後に死因は膵臓癌だとわかった[11]。同名誉賞は死後に贈られ[12]、生前本人が亡くなる直前まで準備していたスピーチは、授賞式に出席した娘のラシダ・ジョーンズによって代読された[13]

家族

  • 女優のジェリ・コードウェル(1957年結婚、1966年離婚)との間に一女(ジョリー・ジョーンズ・リーバイン)。
  • スウェーデン人女優のウラ・ジョーンズ (1967年結婚、1974年離婚) との間に一男(作曲家のクインシー・ジョーンズ3世)一女(マルティナ)。
  • 女優のペギー・リプトン(1974年結婚、1990年離婚)との間に二女 (女優のキダーダ・ジョーンズ、ラシダ・ジョーンズ)。
  • 愛人のキャロル・レイノールズとの間に一女(レイチェル・ジョーンズ)。
  • ドイツ人女優のナスターシャ・キンスキー(1991年結婚、1995年離婚)との間に一女(モデルのケーニャ・キンスキー・ジョーンズ)。

ディスコグラフィ

リーダー・アルバム

  • 『ジャズ・アブロード』 - Jazz Abroad (1955年、EmArcy) ※with ロイ・ヘインズ
  • 『私の考えるジャズ』 - This Is How I Feel About Jazz (1956年、ABC-Paramount)
  • 『ゴー・ウェスト・マン』 - Go West, Man! (1957年、ABC-Paramount)
  • Quincy's Home Again (1958年、Metronome) ※EP
  • 『バンドの誕生』 - The Birth of a Band! (1959年、Mercury) ※旧邦題『バース・オブ・ア・バンド』
  • 『グレイト・ワイド・ワールド・オブ・クインシー・ジョーンズ』 - The Great Wide World of Quincy Jones (1959年、Mercury)
  • 『アイ・ディグ・ダンサーズ』 - I Dig Dancers (1960年、Mercury)
  • 『ビッグ・バンド・ジャズ世界旅行』 - Around the World (1961年、Mercury)
  • 『クインシー・ジョーンズ・アット・ニューポート'61』 - Newport '61 (1961年、Mercury)
  • 『グレイト・ワイド・ワールド・オブ・クインシー・ジョーンズ・ライヴ!』 - The Great Wide World of Quincy Jones Live (in Zurich!) (1961年、Mercury)
  • ザ・クインテッセンス』 - The Quintessence (1961年、impulse!)
  • 『ソウル・ボサ・ノヴァ』 - Big Band Bossa Nova (1962年、Mercury)
  • 『ザ・ヒップ・ヒッツ』 - Quincy Jones Plays Hip Hits (1963年、Mercury)
  • 『ミュージック・オブ・ヘンリー・マンシーニ』 - Quincy Jones Explores the Music of Henry Mancini (1964年、Mercury)
  • 『ゴールデン・ボーイ』 - Golden Boy (1964年、Mercury) ※旧邦題『サイドワインダー』
  • 『ウィー・ハド・ア・ボール』 - I/We Had a Ball (1964年、Limelight) ※ミュージカル・サウンドトラック(オムニバス)
  • 『プレイズ・フォー・プッシーキャッツ』 - Quincy Plays for Pussycats (1965年、Mercury)
  • 『クインシーのニュー・バッグ』 - Quincy's Got a Brand New Bag (1965年、Mercury)
  • 『ウォーキング・イン・スペース』 - Walking in Space (1969年、A&M)
  • 『グラ・マタリ』 - Gula Matari (1970年、A&M)
  • スマックウォーター・ジャック』 - Smackwater Jack (1971年、A&M)
  • 『バッド・ガール』 - You've Got It Bad Girl (1973年、A&M)
  • ボディ・ヒート』 - Body Heat (1974年、A&M)
  • 『メロー・マッドネス』 - Mellow Madness (1975年、A&M)
  • 『アイ・ハード・ザット!!』 - I Heard That!! (1976年、A&M)
  • 『スタッフ・ライク・ザット』 - Sounds...and Stuff Like That!! (1978年、A&M)
  • 『ライヴ・アット武道館』 - Quincy Jones Live at the Budokan (1981年、A&M)
  • 『愛のコリーダ』 - The Dude (1981年、A&M)
  • 『至上の愛』 - Blanchard: New Earth Sonata / Telemann: Suite In A Minor (Overture/Air A L'Italien/Rejouissance) (1985年、CBS Masterworks) ※with ヒューバート・ロウズチック・コリア
  • バック・オン・ザ・ブロック』 - Back on the Block (1989年、Qwest)
  • 『ライヴ・アット・モントルー』 - Miles & Quincy Live at Montreux (1993年、Warner Bros.) ※with マイルス・デイヴィス
  • 『Q'Sジューク・ジョイント』 - Q's Jook Joint (1995年、Qwest)
  • 『Q ライヴ・イン・パリ1960』 - Q Live in Paris circa 1960 (1996年、Qwest)
  • 『ベイシー&ビヨンド』 - Basie and Beyond (2000年、Warner Bros.) ※ザ・クインシー・ジョーンズ/サミー・ネスティコ・オーケストラ名義
  • The Original Jam Sessions 1969 (2004年、Concord Jazz) ※with ビル・コスビー
  • 『Q:ソウル・ボサ・ノストラ』 - Q Soul Bossa Nostra (2010年、Interscope)
  • 『マドモアゼル・ド・パリ』 - Mademoiselle De Paris (2013年、SSJ) ※with アンディ・ウィリアムス

サウンドトラック

映画

テレビシリーズ

作曲、指揮、編曲、プロデュース(抜粋)

フィルモグラフィ

受賞とノミネート

日本公演

7月6日 日本武道館、7日 神戸国際会館、9日 日本武道館、10日 福岡サンパレス
※東京のNHKスタジオでライブのリハーサルが行われた。武道館公演を収めたライブ・アルバム『LIVE AT THE BUDOKAN』[14]を後にリリース。「ラザマタズ」が来日記念シングルとして日本独自のジャケットでリリースされた。
  • 2013年 The 80th Celebration Live Gala Party
7月28日 Blue Note Tokyo、31日、8月1日 東京国際フォーラムホールA

※上記以外にも、1973年と1975年に来日公演を行っている。なお、ビジネスやプロモーションを含めると1960年代から度々来日しており、1987年に行われたマイケル・ジャクソンの初のソロ来日公演に同行して日本へ来たこともある。

関連項目

USAフォー・アフリカ提唱者のハリー・ベラフォンテ(右)と、クインシー・ジョーンズ

脚注

  1. ^ “クインシー・ジョーンズさん死去 91歳 マイケル・ジャクソン「スリラー」など手掛ける”. 毎日新聞. スポニチアネックス. (2024年11月4日). https://mainichi.jp/articles/20241104/spp/sp0/006/244000c 2024年11月4日閲覧。 
  2. ^ https://www.discogs.com/artist/136133-Lionel-Hampton
  3. ^ 日本では1980年代東京モード学園のテレビCMに用いられた他、マイク・マイヤーズ主演の映画「オースティン・パワーズ」シリーズのテーマ曲にも起用された。
  4. ^ a b c d Quincy Jones Best Stories About Workinhg With MJ Sinatra And Ray”. 2014年7月13日閲覧。
  5. ^ 33rd Annual GRAMMY Awards”. GRAMMY.com. Recording Academy. 2025年6月28日閲覧。
  6. ^ a b “THE ACADEMY TO HONOR RICHARD CURTIS, QUINCY JONES, JULIET TAYLOR, MICHAEL G. WILSON & BARBARA BROCCOLI AT 15TH GOVERNORS AWARDS” (Press release) (英語). AMPAS. 2024年6月12日. 2024年7月5日閲覧.
  7. ^ クインシー・ジョーンズ / “Q”生誕70周年記念ベスト [2CD]”. CDJournal.com. シーディージャーナル. 2025年1月8日閲覧。
  8. ^ ハリウッドスター、北京五輪への抗議の風潮” (HTML). 大紀元 (2008年4月13日). 2018年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月9日閲覧。
  9. ^ Nast, Condé (2022年1月5日). “The Weeknd Enlists Jim Carrey and Quincy Jones for His New 'Dawn FM' Album” (英語). GQ. 2022年8月30日閲覧。
  10. ^ Beaumont-Thomas, Ben (2024年11月4日). “Quincy Jones, producer and entertainment powerhouse, dies aged 91” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/music/2024/nov/04/quincy-jones-musician-michael-jackson-producer-dies 2024年11月4日閲覧。 
  11. ^ 伝説的プロデューサーのクインシー・ジョーンズさん、死因は膵臓がんだった 11月3日に死去”. デイリースポーツ online (2024年11月15日). 2024年11月15日閲覧。
  12. ^ Milliken, Mary (2024年11月18日). “今月死去のQ・ジョーンズ氏にアカデミー名誉賞、ボンド映画製作者も”. ロイター. トムソン・ロイター. https://jp.reuters.com/life/entertainment/XKDBDTXBAZLRBCXR5M4VQKU5OI-2024-11-18/ 2025年1月8日閲覧。 
  13. ^ “クインシー・ジョーンズ、アカデミー賞のスピーチを用意していた”. BANG Showbiz Japanese. (2024年11月19日). https://nordot.app/1231666064790094613 2025年1月8日閲覧。 
  14. ^ Quincy Jones - Live At Budokan”. Discogs. 2021年12月14日閲覧。
  15. ^ 前島秀国「久石譲」『日本大百科全書(ニッポニカ)https://kotobank.jp/word/%E4%B9%85%E7%9F%B3%E8%AD%B2#w-1581648コトバンクより2023年12月14日閲覧 

外部リンク


クインシー・ジョーンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 08:08 UTC 版)

アカデミー賞・エミー賞・グラミー賞・トニー賞を全て受賞した人物の一覧」の記事における「クインシー・ジョーンズ」の解説

音楽プロデューサー俳優作曲家のクインシー・ジョーンズ(1933年生)は、2016年達成者となった1964年から2016年までジョーンズ31受賞したが、これは非コンペティティブ部門を含む達成者の中で最多である。 アカデミー賞: 1995年: ジーン・ハーショルト友愛賞 (非コンペティティブ) プライムタイム・エミー賞: 1977年: シリーズ作曲賞(英語版) - 『ルーツグラミー賞: 1964年英語版): インストゥルメンタル編曲賞(英語版) – "I Can't Stop Loving You" 1970年英語版): インストゥルメンタル・ジャズ・パフォーマンス賞 (大規模グループまたは大規模グループソリスト)(英語版) - 『ウォーキング・イン・スペース(英語版)』 1972年英語版): ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞(英語版) - 『スマックウォーター・ジャック英語版)』 1974年英語版): インストゥルメンタル編曲賞 - 「サマー・イン・ザ・シティ英語版)」 1979年英語版): インストゥルメンタル編曲賞 - "The Wiz Main Title (Overture, Part One)(英語版)" 1981年英語版): インストゥルメンタル編曲賞 – 「喝采英語版)」 1982年英語版): プロデューサー賞英語版1982年: ボーカル入りインストゥルメンタル編曲賞(英語版) - 「愛のコリーダ1982年: インストゥルメンタル編曲賞 - 「ヴェラス(英語版)」 1982年: キャスト・ショー・アルバム賞(英語版) - Lena Horne: The Lady and Her Music 1982年: ボーカル入りデュオ・グループR&Bパフォーマンス賞(英語版) - 「ザ・デュード(英語版)」 1984年: プロデューサー賞 (非クラシック) 1984年: 子供向けレコード賞(英語版) - E.T. the Extra-Terrestrial 1984年: アルバム賞(英語版) - 『スリラー1984年: レコード賞(英語版) – 「今夜はビート・イット1985年: インストゥルメンタル編曲賞 – "Grace (Gymnastics Theme)" 1986年: 短編ミュージック・ビデオ賞(英語版) - 「ウィ・アー・ザ・ワールド1986年: ボーカル入りデュオ・グループ・ポップ・パフォーマンス賞(英語版) – 「ウィ・アー・ザ・ワールド1986年:レコード賞 - 「ウィ・アー・ザ・ワールド1991年: プロデューサー賞 (非クラシック) 1991年: ボーカル入りインストゥルメンタル編曲賞 - 「プレイス・ユー・ファインド・ラヴ(英語版)」 1991年: インストゥルメンタル編曲賞 - 「バードランド英語版)」 1991年: ジャズ・フュージョン・パフォーマンス賞(英語版) - 「バードランド1991年: デュオ・グループ・ラップ・パフォーマンス賞(英語版) – 「バック・オン・ザ・ブロック(英語版)」 1991年: アルバム賞 – 『バック・オン・ザ・ブロック』 1992年: グラミー特別功労賞伝説賞(英語版) (非コンペティティブ) 1994年: 大規模ジャズ・アンサンブル・パフォーマンス賞 - 『ライヴ・アット・モントルー(英語版)』 2002年: 詩読アルバム賞(英語版) - Q: The Autobiography of Quincy Jones 2019年: 音楽映画賞(英語版) - 『クインシーのすべてトニー賞: 2016年英語版): リバイバル・ミュージカル作品賞(英語版) – The Color Purple

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