ギリシャ経済危機 (2010年-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 13:55 UTC 版)
「ギリシャの経済」の記事における「ギリシャ経済危機 (2010年-)」の解説
「2010年欧州ソブリン危機」、「ギリシャのユーロ圏離脱」、および「en:2010–2012 Greek protests」も参照 2009年10月、ギリシャにおいて政権交代が行われ、ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ新政権(全ギリシャ社会主義運動)下で旧政権(新民主主義党)が行ってきた財政赤字の隠蔽が明らかになった。従来、ギリシャの財政赤字は、GDPの4%程度と発表していたが、実際は13%近くに膨らみ、債務残高も国内総生産の113%にのぼっていた。 2010年1月12日、欧州委員会がギリシャの統計上の不備を指摘したことが報道され、ギリシャの財政状況の悪化が表面化。 2010年1月15日、財政赤字を対GDP比2.8%以下にするなどとした3カ年財政健全化計画を閣議で発表するが楽観的な経済成長が前提であった。格付け機関は、相次いでギリシャ国債の格付けを引き下げ、債務不履行の不安からギリシャ国債が暴落した。株価も影響を受け、世界各国の平均株価が下落し、ユーロも多くの通貨との間で下落した。2010年4月23日にはギリシャが金融支援を要請した。 欧州連合ではユーロ圏諸国に対して、ユーロ経済圏の秩序維持のために起債上限額を制限している(安定・成長協定)。ギリシャは、こうしたルールを破ることとなったため、欧州各国が協調して問題に取り組むこととなったが、ドイツなどとの間で足並みの乱れも見られた。欧州では、ギリシャのほか、スペインやポルトガルなども財政赤字の拡大に苦しんでおり、こうした国へ飛び火することも懸念されたためである。 IMF、欧州委員会、ECBの3つはトロイカと呼ばれる。2010年からトロイカはギリシャに金融支援を行っている。その中でもドイツの融資割合は最も高い。トロイカは金融支援の条件としてギリシャに緊縮財政政策をとるように要求している。 2010年4月にユーロスタットが発表した財政赤字は2009年10月に発表された13%近くではなく13.6%であることが発表された。2010年2月から断続的にストライキ、デモが行われており2月と3月には追加の財政再建策撤回を求めてギリシャ労働総同盟・ギリシャ公務員連合が24時間のゼネラル・ストライキを行い275万人が参加した。メーデーのデモが行われデモ隊と警官隊が衝突、けが人が出る事態となる。5月5日に行われたデモでは火炎瓶が銀行に投げ入れられ銀行員に死者が出る事件となった。犯行は無政府主義者によるものとされている。 2011年7月25日、格付会社ムーディーズは既に投機的等級にあるギリシャの格付けをさらに3段階引き下げ、従来の「Caa1」を「Ca」とした。 2011年9月28日、欧州委員会、IMF、(ECB)の3機関(トロイカ)で構成される合同調査団はアテネに戻り、ギリシャがデフォルト(債務不履行)回避に必要な次回融資を受けるにふさわしいかを判断するため、同国政府が最近合意した新たな緊縮措置や民営化計画の進捗について綿密に調査する見通しとなった。 2011年10月3日ギリシャ政府が、財政赤字削減目標未達となる見通しを発表したため、欧州金融市場は再び悪化した。これでギリシャが「ハード」デフォルト(債務不履行)となる可能性が高まった。 2011年10月12日、ECBのトリシェ総裁は、債務削減合意を順守すれば、ギリシャはデフォルト(債務不履行)を回避できると述べた。 10月27日、欧州諸国は債務危機に対応するために、「ギリシャ債務の民間投資家の損失負担を50%とし、欧州金融安定ファシリティの融資能力を拡充するほか、2012年6月30日まで銀行の資本増強を決めた」ものの、パパンドレウ首相が11月1日に第2次支援策の受け入れについて国民投票を実施すると発言したために、金融市場は再び不安定化、内外での反発が強まった。 11月2日にはアンゲラ・メルケル、ニコラ・サルコジの独仏首脳がパパンドレウ首相に対し、支援凍結とユーロ離脱(自国通貨「ドラクマ復活」)をちらつかせながら圧力をかけ、事態収拾に動いた。11月4日に国民投票を撤回、翌11月5日にはパパンドレウ内閣の信任投票で僅差ながらも信任されたものの、大連立交渉に失敗しパパンドレウは首相を辞任。11月11日、前欧州中央銀行副総裁のルーカス・パパデモスを首班とする大連立政権が発足した。このとき総選挙を2012年に繰り上げ実施することで連立政権内の合意ができていた。 2012年5月ギリシャ議会総選挙では財政緊縮反対を掲げる左翼政党が大幅に躍進。連立交渉がまとまらず、翌月に再選挙(2012年6月ギリシャ議会総選挙)が行われることとなった。緊縮財政政策について政党により賛否がはっきりしているため、一連の選挙結果は欧州連合(EU)による金融支援を受けるのに不可欠である財政緊縮を堅持するか否かの動向に直結することから世界より注視されたが、6月の選挙では財政緊縮支持派の第1党が票を伸ばし連立政権の樹立に成功したことで、ようやく事態は沈静化へと向かうこととなった。 この一連の経済危機とその対策の不手際により、ギリシャの実質的な国内総生産は2009年から2012年の間に17%減少した。 2015年3月、ブラジル出身のPaulo Nogueira Batista 国際通貨基金理事がテレビ出演し、ギリシャに対する融資がドイツとフランスの銀行を救済する目的だったことを理事たちが承知していた事実を漏らした。4月9日、ギリシャはIMF に4億6200万ユーロを返済した。 2015年8月に欧州安定メカニズムが3カ年に及ぶ第3次金融支援を行うことで合意。 2017年4月21日、ギリシャ統計局は2016年の基礎的財政収支(プライマリーバランス)が対GDP比で3.9%の黒字に改善したと発表した。2015年は2.3%の赤字で、EUによる第3次支援は0.5%以上の黒字確保を条件としていた。過去の債務残高は3148億ユーロで、対GDP比は179.0%と、2015年の177.4%より悪化した。 2017年6月15日、ルクセンブルクで開催されたユーロ圏財務相会合にて、ギリシャに対する85億ユーロの追加融資で合意し、7月に予定される巨額の国債償還の資金を確保し、ギリシャ発の金融危機が再発する事態は回避された。 2018年8月20日、欧州安定メカニズムが第3次金融支援を予定通り終了させ、追加支援も行わないと発表した。 2018年時点の経済規模は、金融危機発生前の2007年と比べ3/4レベルに落ち込んではいるものの、今後は経済成長が見込まれる。また、国内総生産に対する公的債務の比率は、2018年の188%超をピークに低下していく見通しが立てられている。
※この「ギリシャ経済危機 (2010年-)」の解説は、「ギリシャの経済」の解説の一部です。
「ギリシャ経済危機 (2010年-)」を含む「ギリシャの経済」の記事については、「ギリシャの経済」の概要を参照ください。
- ギリシャ経済危機のページへのリンク