ギリシャ観光のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/20 09:58 UTC 版)
「ギリシャの観光」の記事における「ギリシャ観光のエピソード」の解説
ギリシャ各地を巡った書籍としては、パウサニアスの『ギリシャ案内記』が存在する。これには2世紀のギリシャの各地を巡ったことが記されており、ギリシャの地方やその歴史について記された貴重なものであり、19世紀以降、ギリシャの遺跡発掘に貢献したものである。さらに15世紀にもイタリアの旅行家、クリストフォロ・ブォンデルモンティはクレタ島やエーゲ海島嶼、コンスタンティノープルを巡り、『クレタ島の地誌』や『エーゲ海の島々の地誌』を表し、地図でその表紙が飾られている。さらに同時期にアンコーナのキリアコス(本名:チリアコ・デ・ピッツィコッリ)が存在しており、『考古学の父』と呼ばれるような活動を行い、ギリシャ各地の碑文を筆写し、スケッチを描き、現在に残している。これらの活動はオスマン帝国がギリシャを占領したことにより、一時中断することとなるが、ヤコブ・スポンというドイツ人学者は1674年、キリアコスが訪れて以来、途絶えていた西欧人のアテネを訪問した人物になったが、彼が完全な形で残っていたアクロポリスを最後に見た西欧人となった 。
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