カノニカル・ファイブ
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「切り裂きジャック」の記事における「カノニカル・ファイブ」の解説
切り裂きジャックの犠牲者として挙げられる5人(カノニカル・ファイブ)は、メアリー・アン・ニコルズ、アニー・チャップマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウッズ、メアリー・ジェーン・ケリーである。 1888年8月31日の金曜日の午前3時40分頃、ホワイトチャペルのバックズ・ロウ(現在のダーワード・ストリート)でメアリー・アン・ニコルズの遺体が発見された。生きているニコルズが最後に目撃されたのは、遺体発見の約1時間前に、ホワイトチャペル・ロード方面に歩いている彼女を、スピタルフィールズのスロール・ストリートにある共同下宿で寝泊まりしていたエミリー・ホランド夫人が目撃したというものであった。被害者の喉は2つの深い切り傷で切断されており、そのうちの1つは椎骨までの組織を完全に切断していた。膣には2回の刺し傷が見られ、下腹部には深くザラザラした傷で一部が裂けており、腸がはみ出していた。腹部の両側にも同じナイフによっていくつかの切り込みが入っていた。これらの傷はいずれも下向きに突き刺すようにして負わされていた。 それから約1週間後の9月8日の土曜日の午前6時頃、スピタルフィールズのハンバリー・ストリート29番地の裏庭の出入り口の階段付近で、アニー・チャップマンの遺体が発見された。ニコルズの場合と同様に喉は2つの深い切創があった。腹部は完全に切り開かれており、胃の一部が左肩の上に置かれ、また切除された皮膚と肉の一部と小腸は右肩の上に置かれていた。チャップマンの検死では、子宮、膀胱、膣の一部が切除されていることがわかった。 チャップマンの死因審問では、エリザベス・ロングが、午前5時半頃にチャップマンが茶色の鹿撃ち帽と暗い色のオーバーコートを着た黒髪の男と一緒にハンバリー・ストリート29番地の外に立っているのを見たと証言した。エリザベスによれば、男はチャップマンに「どう?(Will you?)」と聞き、彼女が「いいわ(Yes)」と答えていたという。 エリザベス・ストライドとキャサリン・エドウッズは、9月29日の土曜から30日の日曜にかけて殺害された。ストライドの遺体は、30日の午前1時頃、ワイトチャペルのバーナー・ストリート(現在のヘンリック・ストリート)の外れにあるダットフィールズ・ヤードで発見された。首に6インチの切り傷があり、死因は左頸動脈と気管の切断で、そのまま切創は右顎の下で止まっていた。彼女の身体にはそれ以外の損傷がなかったため、これがジャックによるものなのか、または犯行途中で中断したのかは不明である。後に29日の深夜にバーナー・ストリートの近くでストライドが男と一緒にいるのを見たという複数の目撃証言が警察に寄せられたが、それぞれの証言は異なっていた。ある者は連れの男は色白であったと言い、またある者は色黒だったと言い、別の者はみすぼらしい服を着ていたと言い、しかし、身なりが良かったという証言もあった。 エドウッズの遺体発見は、ストライドの遺体発見の45分後にシティのマイター・スクエア(英語版)で発見された。彼女の喉は切り裂かれ、腹部には深く長いギザギザの裂傷が見られ、腸は彼女の右肩にかけられていた。左の腎臓と子宮の大部分が取り除かれていた上、彼女の顔は鼻の切除、頬の切創、さらにそれぞれのまぶたが4分の1インチと5分の1インチにそれぞれ切り裂かれ、醜い相貌となっていた 。頬には三角形の切り込みがあり、その頂点はエドウッズの目を指していた。また、その後の調査の中で、彼女の衣服の中から右耳の耳介と耳たぶの一部が発見された。検死した検死医は、これらの切断について「少なくとも5分はかかったとみられる」と見解を述べた。 ジョセフ・ラウェンデ(英語版)という地元のタバコのセールスマンは、殺人事件があったとみられる直前に2人の友人と共に広場を通りかかった際、みすぼらしい外見の白髪の男と一緒にいる、エドウッズと思われる女性を目撃したと証言している。しかし、ラウェンデの仲間からは同じ目撃情報を得られなかった。この同夜に起こった2件の殺人は「ダブル・イベント」と呼ばれ、知られるようになった。 ホワイトチャペルのゴールストン・ストリートにある長屋の入り口にて、午前2時55分にエドウッズの血まみれのエプロンの一部が発見された。このエプロンの真上にあたる壁にはチョークで「The Juwes are The men That Will Not Blamed for nothing.」と書かれていた。この落書きは後に「ゴールストン・ストリートの落書き」と名付けられ、知られているものである。このメッセージは一連の殺人事件の犯人が特定のユダヤ人もしくはユダヤ人全般であるように読めた。しかし、これは犯人がわざとエプロンを残して書いたものなのか、それとも事件とはまったく関係がないもの(あるいは便乗した愉快犯的なもの)なのかは不明である。このような落書きはホワイトチャペルではありふれたものであった。ただ、警視総監(英語版)のチャールズ・ウォーレン(英語版)は、これが反ユダヤ主義者たちの暴動を引き起こすことを懸念し、夜明け前に落書きを消すように命じた。 11月9日金曜日の午前10時45分、スピタルフィールズのドーセット・ストリートの外れにあるミラーズ・コート13番地の一室で、この部屋の住人であるメアリー・ジェーン・ケリーの遺体が発見された。彼女の身体は広範囲に渡って損壊され、内臓が取り除かれた状態でベッドの上に横たわっていた。その顔は「見分けがつかないほど切り刻まれて」おり、喉の切創は背骨にまで至り、腹部にはほとんど内臓が残っていなかった。子宮、腎臓、片方の乳房は頭の下に置かれ、その他の臓器はベッドの足元に、腹部と大腿部はベッドサイドテーブルに置かれていた。心臓だけが犯行現場から消えていた。 カノニカル・ファイブと呼ばれる5つのケースの特徴は、いずれも月末から1週間後の週末あるいはそれに近い日の夜に犯行が行われている。一連の殺人事件における遺体の損壊はだんだんと酷くなっていった(ストライドの件のみ犯行を中断した可能性がある)。最初のニコルズはどの臓器も欠損していなかった。次のチャップマンは子宮と膀胱、膣の一部が摘出されていた。4番目のエドウッズは子宮と左の腎臓が切除され、顔が切り取られていた。最後のケリーの遺体は、顔は「四方八方から切り刻まれ」、首元の傷は骨にまで達し、心臓だけがこの犯行現場から持ち去られていた。 歴史的に見て、この5つの殺人事件を同一犯による犯行とみて、また他の事件を排除する考えは、当時の記録に由来する。1894年、ロンドン警視庁の警部補で犯罪捜査局(英語版)(CID)の捜査主任であったメルヴィル・マクノートン(英語版)卿は「ホワイトチャペルの殺人鬼の犠牲者は5人だった。そう、5人だけであった(the Whitechapel murderer had 5 victims?& 5 victims only)」という報告書を書いた。同様に、1888年11月10日に監察医のトマス・ボンド(英語版)がCIDの捜査主任であるロバート・アンダーソン(英語版)に宛てた手紙の中でも、カノニカル・ファイブの件は共通的なものと言及されていた。 研究者の中には、これら事件の何件かは間違いなく同一犯だが、一部はこの犯人とは無関係の別の殺人犯によるものと主張する者もいる。スチュワート・エヴァンス(Stewart P. Evans)とドナルド・ランベロー(英語版)は、カノニカル・ファイブは「切り裂きジャック神話(俗説)」であり、3つの事件(ニコルズ、チャップマン、エドウッズ)は同一犯と断定できるが、ストライドとケリーは同じ犯人によるものか確証がないと指摘している。逆にカノニカル・ファイブにタブラムの件を加えた6件を同一犯とみなしている者もいる。病理医ジョージ・バグスター・フィリップス(英語版)の助手であるパーシー・クラーク医師は、殺人事件のうち同一犯は3件だけであり、それ以外は「心神耗弱者による模倣犯罪」だと指摘している。マクノートン卿が捜査に加わったのは事件の翌年であり、彼の記録には容疑者についての重大な事実誤認が含まれている。
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