死因審問とは? わかりやすく解説

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死因審問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 09:20 UTC 版)

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検死官裁判所(バンクーバー

死因審問(しいんしんもん、: inquest)、検死審問、又は、検死法廷とは、アメリカ合衆国イギリスなどのコモン・ロー諸国における司法制度で、人が死亡した場合(特に変死体・不自然死・異状死の場合)に、検死官(検視官coroner)が、その死因等を調査・特定(検死)するために、自殺他殺事故死か等を判定する、原則として公開で行われる審問法廷である。

イングランド・ウェールズ

イングランドおよびウェールズにおいては、検死官は、次に挙げる事例に該当する場合、検死のために陪審(検死陪審)を召喚しなければならない。

  1. 刑務所又は警察の留置場で人が死亡した場合。
  2. 警察官の職務執行に際し人が死亡した場合。
  3. 労働における健康と安全等に関する法律(en:Health and Safety at Work etc. Act 1974)に当てはまる死亡の場合。
  4. 人の死亡が公衆の健康若しくは安全に影響を及ぼす場合。

他殺と判定された場合、特定の加害者が指名される場合と不特定の加害者が指名される場合とがある[1][2]

人の死亡について死因審問が必要であると思われる場合には、何人も、その死亡を検死官に報告する一般的義務がある。しかし、この義務は、実際にはほとんど実効性を有しておらず、担当の登録係(registrar)が報告義務を負うこととなる。登録係は、次の場合には人の死亡を報告しなければならない[3]

  • 死者が、病状末期に医師の立会を受けていなかったとき
  • 死後又は死の14日前以降に死者を見た医師による、死因の確認が行われていないとき
  • 死因が不明であるとき
  • 登録官が、死因が不自然である、暴力行為、ネグレクト若しくは堕胎によるものである、又は不審な状況で起こったと信じるとき
  • 外科手術中の死、又は麻酔を行っている間の死であるとき
  • 死因が業務上の疾病であるとき

検死官は、次の場合には死因審問を行わなければならない[4]

  • 死が暴力行為によるとき、又は不自然であるとき
  • 突然死であり、かつ死因が不明なとき
  • 刑務所又は警察の留置場における死であるとき

死因が不明である場合、検死官は、死が暴力行為によるものであるか否かを判断するために、検死解剖(post mortem examination)を命じることができる。死が暴力行為によるものでないことが分かったときは、死因審問は不要である[5]

2004年、イングランド・ウェールズにおいて、51万4000人が死亡し、そのうち22万5500件が検死官に付託された。そのうち11万5800件が検死解剖に付され、2万8300件の死因審問が行われた。そのうち570件が陪審によるものであった[6]

陪審の要否

検死官は、次に挙げる事例に該当する場合、死因審問のため、陪審を召喚しなければならない[7]。検死官は、それ以外にも、自らの裁量で陪審を召喚することができる。

  1. 刑務所又は警察の留置場での死である場合。
  2. 警察官の職務執行に際しての死である場合。
  3. 労働における健康と安全等に関する法律 (en:Health and Safety at Work etc. Act 1974) に当てはまる死亡の場合。
  4. 人の死亡が公衆の健康若しくは安全に影響を及ぼす場合。

死因審問の範囲

死因審問の目的は、次の四つの点を明らかにすることである[8][9][10]

  • 死者の身元
  • 死亡の場所
  • 死亡の日時
  • 死因

証拠は、これらの問題に答えることのみを目的としたものでなければならず、それ以外の証拠は許容されない。死因審問の目的は、「死者がどのような事情の下死亡したか」という広い周辺事情を確かめることではなく、「死者がどうやって死に至ったか」という、より狭く限定された問題に答えることである[9]。さらに、刑事上・民事上の責任について判断することは死因審問の目的ではない[11]。例えば、在監者が独房で首を吊った場合、死因は首吊りであるといえば十分であり、刑務所職員の怠慢・不注意が当該在監者の心理状態に影響を与えたのではないかとか、それによって首吊りの機会を与えることになったのではないかといった周辺事情を調査することが目的ではない[9]。もっとも、死因審問は、公益上要求される程度までは、事実を明らかにすべきである[12]

欧州人権条約2条において、各国政府は、「合理的に実行可能な範囲で最大限、生命を保護するための法、予防措置、手続及び法執行手段の枠組みを確立する」ことが求められている。欧州人権裁判所は、この規定を、公務員が関与している可能性のある死については、いかなるものも、独立した政府機関による調査が必要であると解釈している。1998年人権法 (en) の施行以来、このような事件に限っては、死因審問は「どのような方法で、そしてどのような状況で」死亡したかというより広い問題を検討することとなっている[13]

災害(例えばキングズ・クロスの火災 (en))の場合は、数人の死についてまとめて1回の死因審問が行われることがある。しかし、1887年アイルランド・ミッチェルタウンで数人の抗議者が警察に射殺された事件では、共通で行われた検死陪審による認定が、死亡の時と場所がそれぞれ異なるという理由で破棄された[14][15]

手続

死因審問は、検死官規則[16][17][18]に則って行われる。検死官は、近親者、証人尋問権を有する者、審理の対象となる行為をした者に対し、告知を行う[19]。死因審問は、安全保障上の真の問題がある場合を除き、公開で行われる[20]

死者の親族のように手続への利害関係を有する個人、証人として出頭する個人、及び死亡に関し何らかの責任を問われる可能性のある個人又は組織は、検死官の裁量により、弁護士を付すことができる[21]。証人は、自己負罪拒否特権がある場合のほかは、証言を強制されることがある[22]

評決

強制力はないものの、以下の分類に従って評決を出すことが強く推奨されている[23]

2004年に行われた死因審問のうち、37%が不慮の事故、21%が自然死、13%が自殺、10%が死因不明、19%がその他という結果であった[24]

改革

現在の制度に対する不満、特に連続殺人犯のハロルド・シップマンの検挙に失敗したと受け止められたことから、死因審問の改革が提案されている[25]。そのための改正草案が、2006年6月12日に発表された。その骨子は次のとおりである[26]

  • 遺族が検死官の調査に参加する権利を拡大すること
  • 業務を指導・監督するために「首席検死官」の職を新たに設けること
  • 新たな管轄区域に、常任の検死官を置くこと
  • 検死官の調査権限を拡大すること
  • 検死官の調査及び判断に対する医療側の協力態勢を改善すること
  • 全国的に職務を行う埋蔵物調査官 (treasure coroner) の職を新設し、埋蔵物に関する管轄はこれに与えること[27]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Coroners Act 1988, s.8(3)
  2. ^ Lord Mackay of Clashfern (ed.) (2006) Halsbury's Laws of England, 4th ed. reissue, vol.9(2), "Coroners", 979. 'Where jury is necessary.'
  3. ^ Halsbury vol.9(2) 949-950
  4. ^ Coroners Act 1988, s8(1); Halsbury vol.9(2) 939
  5. ^ Halsbury vol.9(2) 939
  6. ^ Department for Constitutional Affairs (2006: 6)
  7. ^ Coroners Act 1988, s.8(3); Halsbury vol.9
    1. 979
  8. ^ Halsbury vol.9(2) 988
  9. ^ a b c R v. HM Coroner for North Humberside and Scunthorpe, ex parte Jamieson [1995] QB 1 at 23, CA
  10. ^ Coroners Rules 1984, SI 1984/552, r.36
  11. ^ Coroners Rules 1984, SI 1984/552, r.42
  12. ^ R (on the application of Davies) v. Birmingham Deputy Coroner [2003] EWCA (Civ) 1739, [2003] All ER (D) 40 (Dec)
  13. ^ R (on the application of Middleton) v. West Somerset Coroner [2004] UKHL 10, [2004] 2 AC 182, [2004] 2 All ER 465
  14. ^ Halsbury vol.9(2) 991
  15. ^ Re Mitchelstown Inquisition (1888) 22 LR Ir 279
  16. ^ Coroners Rules 1984, SI 1984/552
  17. ^ Coroners (Amendment) Rules 2004, SI2004/921
  18. ^ Coroners (Amendment) Rules 2005, SI2005/420
  19. ^ Halsbury vol.9(2) 976
  20. ^ Coroners Rules 1984, SI 1984/552, r.17
  21. ^ Coroners Rules 1984, SI 1984/552, r.20
  22. ^ Coroners Rules 1984, SI 1984/552, r.22
  23. ^ Halsbury vol.9(2) 1030
  24. ^ Department for Constitutional Affairs (2006)
  25. ^ Home Office (2003a, 2003b and 2004); Department for Constitutional Affairs (2006)
  26. ^ Draft Coroners Bill”. Ministry of Justice. 2008年12月12日閲覧。
  27. ^ 検死官 (coroner) は、伝統的に埋蔵物調査の職務も行ってきた。Coroners Act 1988, s30。

参考文献

法令

文献

関連項目


死因審問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:42 UTC 版)

ジョン・ビンガム (第7代ルーカン伯爵)」の記事における「死因審問」の解説

リヴェット死に対する死因審問(英語版)は1974年11月13日始まり、インナー・ウェスト・ロンドンの検死官であるヴィン・サーストン(英: Gavin Thurston)が指揮を執った。報道陣いっぱい法廷には2人証人呼ばれ、夫であるロジャー・リヴェットは彼女の身元確認し法医学者のキース・シンプソンは、リヴェット頭部受けた鈍器一撃死亡した証言したランソン要望で、審理一時中断された。1974年12月11日、また1975年3月10日にも延期決定され次の審理1975年6月16日設定された。 聴取陪審員団の宣誓と、法的代理人たちの紹介始まったが、その中にはルーカンのために彼の母が雇った弁護士もいた。サーストン陪審員団に事件概要説明し、彼らの責務について話した。彼はその後数日かけて選び抜いた33人の証人呼び出しその内1人だったヴェロニカは、毎日濃い色のコート着て、頭には白いスカーフ巻いていた。サーストンヴェロニカ対しルーカンとの関係、結婚生活自身経済問題リヴェット雇用、そして襲撃の夜何があったのかを聞いていった。ルーカンの母が雇った弁護人英語版)はヴェロニカから、彼女が夫を嫌悪していたなら、夫婦関係はどんなものだったのか引きだそうとしたが、サーストン一線越えたこの質問容認しがたいとした婦人警官のサリー・ブロワー(英: Sally Blower)は、1974年11月20日夫妻の娘であるフランシスから話を聞き、彼女が書いた手紙法廷読み上げたフランシス叫び声1回聞き数分後に顔が血で汚れた母と、父親部屋入ってきたのを目撃した。彼女は母ヴェロニカ寝かしつけられた。その後彼女は父が電話で母にどこにいるのか尋ねているのを聞き、父がバスルーム出て階段降りていったのを見たという。またフランシスは、リヴェット木曜夜働くのは異例だった述べた。 プランバーズ・アームズの亭主は、ヴェロニカパブ駆け込んできた時、「頭からつま先まで血塗れ」(英: "head to toe in blood")で、その後ショック状態」(英: "a state of shock")から昏倒してしまったと述べた。彼はヴェロニカが、「助けて助けて殺されかかって逃げてきたの」、「子どもたち子どもたち、彼が私のナニー殺したの」と叫んでいたと証言した法医学者のキース・シンプソンは、彼の行った検案について概要話し、「鈍器による頭部損傷」と「血の吸入」(英: "blunt head injuries" / "inhalation of blood")により彼女が絶命したと結論付けた。彼は現場で見つかった鉛管リヴェットの傷に対する1番の成傷器だと確証し、彼女の左目・口付いていた傷は、拳で殴られた際にできたものだろうと述べた生きているルーカン会った最後の人物であるスーザン・マクスウェル=スコットは、法廷で、伯爵は「だらしなく見え(英: "dishevelled")、髪は「少しかき乱れていた」(英: "a little ruffled")と述べたルーカンズボンの右尻には湿った跡があり、彼はマクスウェルスコット対し、家の前を歩いていた、もしくは通り過ぎようとした時にヴェロニカが男に襲われているのを見た、と伝えた。彼は踏み込んだ際に、階段にあった血溜まり滑ってしまったと述べたルーカンは彼女に対し襲撃者逃げたが、ヴェロニカは「とてもヒステリックで」(英: "very hysterical")自分を殺すために殺し屋雇ったのだろうとルーカン詰ったことを語った。 サンドラ・エリナー・リヴェットは頭部外傷死亡し1974年11月7日午後10時30分に、ロウワー・ベルグレイヴ・ストリート46番地発見された。[中略]また次に述べる罪はリチャード・ジョン・ビンガム、ルーカン伯爵によって行われたもので―つまり、彼が殺人罪犯人である。 ギャヴィン・サーストン 審理終了後サーストン提示され証拠要約し陪審員団に選択肢提示した午前1145分陪審長は「ルーカン卿による殺人」(英: "Murder by Lord Lucan")であることを宣言したルーカン殺人罪宣告され貴族院議員となったが、これは1760年執事殺した罪で絞首刑にされたローレンス・シャーリー (第4代フェラーズ伯爵)以来のことだった。また彼は、刑事法院検死官により殺人罪裁かれ最後の人になった検死官のこの権限は、1977年刑事法法(英語版)で取り除かれた)。 リヴェット遺体殺人後数週間わたって捜査機関置かれていたが、審問後家族に返還され1974年12月18日クロイドン火葬場英語版)で火葬された。警察報道官からは、ヴェロニカ火葬参列しない理由として、家族動転させたくないとの彼女の希望発表された。

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