ホワイトチャペル殺人事件の最初の2件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 00:29 UTC 版)
「切り裂きジャック」の記事における「ホワイトチャペル殺人事件の最初の2件」の解説
ホワイトチャペル殺人事件の11件の殺人の内、エマ・エリザベス・スミスとマーサ・タブラムが被害者となった最初の2件はカノニカル・ファイブには含まれていない。 スミスは1888年4月3日午前1時半頃、ホワイトチャペルのオズボーン・ストリートで強盗に遭い、性的暴行を受けた。彼女は顔を殴打され、耳に切り傷を負った。また、膣に鈍器が挿入され腹膜が破裂していた。翌日、腹膜炎によりロンドンの病院で死亡した。スミスは2、3人の男性に襲われたと証言し、そのうちの一人は10代だったと述べている。マスメディアは、後に起こる殺人事件とこの事件を結び付けて報道したが、ほとんどのライターはスミスの事件は切り裂きジャック事件とは無関係であり、一般的なイーストエンドのギャングによるものだとみなしている。 タブラムのケースは、1888年8月7日、ホワイトチャペルのジョージ・ヤードの階段の踊り場で殺害されていた。彼女は、喉、肺、心臓、肝臓、脾臓、胃、腹部に39もの刺し傷があり、さらに胸と膣もナイフによる刺し傷があった。これらの傷はすべてペンナイフとみられる刃物でつけられており、1つの例外を除いてすべて右利きの者による犯行であった。また、性的暴行を受けた痕はなかった。 この殺人の残虐性と明白な動機の欠如、また場所と日時は、後の切り裂きジャックによる犯行に近く、警察はこの事件をジャックによる犯行と結び付けた。しかし、タブラムは何度も刺されていはいたが、喉や腹部に対する切り傷は無かったという点で、後の事件とは異なっていた。多くの専門家はこの傷のパターンの違いから、この殺人を切り裂きジャックによる犯行とは見なしていない。
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