ホワイトチャペル殺人事件の最後の4件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 00:29 UTC 版)
「切り裂きジャック」の記事における「ホワイトチャペル殺人事件の最後の4件」の解説
一般的にはケリーの事件が切り裂きジャックの最後の犯行と考えられており、犯人の死亡や投獄、収容、あるいは移住などによって一連の犯行が終結したと見なされている。しかし、ホワイトチャペル殺人事件としては、カノニカル・ファイブ以降に起こった4件の殺人事件もまた詳細に記録に残されている。これはローズ・マイレット、アリス・マッケンジー、ピンチン・ストリートの胴体(トルソー)、フランシス・コールズの4件である。 1888年12月20日、ポプラのハイ・ストリートにあるクラークズ・ヤードで、26歳のローズ・マイレット(Rose Mylett)の絞殺死体が発見された。争った形跡はなく、警察は彼女が酔った勢いで誤って首輪で首を吊ってしまった事故か、自殺のどちらかと推定した。しかし、首の側面に紐で絞められた痕がかすかに残っていたことから、彼女は何者かに首を絞められた可能性が浮上した。死因審問において陪審員は殺人の評決を下した。 アリス・マッケンジー(Alice McKenzie)は1889年7月17日の真夜中過ぎにホワイトチャペルのキャッスル・アリーで殺害された。彼女の首には2つの刺し傷があり、左頸動脈が切られていた。また、その体にはいくつかの軽い打撲傷や切り傷もあり、左胸からへそにかけて7インチの長く浅い傷があった。検死を担当した病理学者のトマス・ボンドはこれを切り裂きジャックの犯行と推定したが、過去3件の検死を担当していた同僚のジョージ・バグスター・フィリップスは、この見解を否定した。著述家の間でもマッケンジーの殺害犯が捜査の目から自分を逸らすために切り裂きジャックの仕業に見せかけたという意見と、これも切り裂きジャックの犯行だとする意見に分かれている。 「ピンチン・ストリートの胴体(トルソー)」(The Pinchin Street torso)と呼ばれる身元不明の女性遺体がピンチン・ストリートの鉄道橋の下で発見されたのは1889年9月10日のことであった。これは頭と脚がない腐乱死体で年齢は30歳から40歳と推定された。被害者の背中、腰、腕といった広範囲に死の直前に激しい殴打を受けたことを示す痣が見られた。腹部も大きく切り刻まれていたが、性器には損傷が見られなかった。被害者は死体発見の約1日前に殺害されたとみられ、バラバラにされた遺体は、古いシュミーズの下に隠して鉄道橋に運ばれたと推測されている。 1891年2月13日午前2時15分、アーネスト・トンプソン刑事は、ホワイトチャペルのスワロー・ガーデンズの鉄道橋の下でフランシス・コールズ(Frances Coles)という25歳の売春婦が倒れているのを発見した。彼女の喉は深く切られていたが、身体には傷がなく、これは犯人がトンプソンに気づいて犯行途中で逃げたという意見もある。発見時、彼女はまだ息があったが、治療を受ける前に亡くなった。53歳の機関車の機関員ジェームス・トマス・サドラー(英語版)が、コールズと一緒に飲んでいるところを目撃されており、彼女の死の約3時間前に二人が口論していたことが判明していた。このため、サドラーは逮捕され、コールズ殺害の容疑で起訴された。一時は彼が切り裂きジャックだと思われたが、結局は、証拠不十分で1891年3月3日に釈放された。
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