アフガニスタン(クシャーナ朝以後のガンダーラ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 12:57 UTC 版)
「仏教美術」の記事における「アフガニスタン(クシャーナ朝以後のガンダーラ)」の解説
「ガンダーラ#ガンダーラ美術」および「:en:Gandharan Buddhism」も参照 バクトリア地方(現在のアフガニスタン)の仏教美術は、7世紀にイスラーム勢力がこの地に拡大するまで数世紀にわたって存続した。また、この地では、紀元1世紀頃に人の姿をした仏陀(仏像)が初めて制作された。湿潤高温であるインドとは異なり、天空の神秘が重んじられた結果、弥勒信仰や兜率天信仰に由来する美術が多くつくられ、それまでになかったドーム窟が盛んに造営された。これはインドではほとんど作例のないものである。また、それに続いて釈迦菩薩や弥勒菩薩などの菩薩像や、仏伝図(英語版) を物語る、仏塔や寺院の内部を装飾するための浮彫が作られるようになる。この時代の空気をうかがえる代表的な例としては、カニシカ王の舎利容器が挙げられる。 3世紀前半、クシャーナ朝はゾロアスター教を奉じるサーサーン朝によって滅ぼされた。しかし、ガンダーラ美術の命脈は途絶えなかったどころか、ペルシャや北インドの意匠を取り込みながら発展していったのである。バーミヤンでは、4世紀から6世紀にかけて、2体の大仏をはじめとする多くの石仏や、石窟壁画が作られた。バーミヤンの石窟美術においては、インドで見られる本生図や仏伝図はモチーフとして見られない一方、幾何学的な構成で弥勒菩薩と無数の仏たちを描く千仏構図が登場した。他にも、スタッコ、片岩または粘土でも仏教美術が制作された。これらの作品は、インドのグプタ朝以降の様式主義とギリシャ美術、ヘレニズム美術(英語版)、ことによってはそれに引き続いたローマ美術をも要素として取り入れながら、非常に強く融合させている。 イスラムの支配は、他の「啓典」の宗教にはいくぶんか寛容だったが、「偶像崇拝」に依っていると見做された仏教にはほとんど寛容さを示さなかった。したがって、その芸術形態もイスラム教の支配下においては禁止された。8世紀以降も、アッバース朝の支配やそれに伴う戦乱で多くの寺院や石仏が破壊された。近代以降も仏教美術はたびたび被害に遭い、体系的な破壊はタリバン政権時代に頂点に達した。バーミヤンの仏像、ハッダの彫刻、アフガニスタン国立博物館(英語版)に残っている多くの遺物が破壊・流出させられた。 1980年代以降、長く続いたアフガニスタン紛争による混乱は、仏教に関連する文化財の流出と、国際市場への転売を狙った組織的な遺跡への略奪を引き起こした。しかし、2000年代に入ってから、国外に流失した仏教美術の作品を含む多くの文化財がアフガニスタンへと返還された。日本からは、平山郁夫らの主導による返還事業が行われた。 三尊像 大乗仏教初期の例。向かって左から、月氏の信者、弥勒菩薩、釈迦、観音菩薩、僧侶。 ガンダーラ 2世紀ら3世紀 守護神像 粘土造 7世紀頃 アフガニスタン、フォンドキスタン出土 ギメ美術館蔵 仏教彫刻を支えるギリシャの神、アトラース ハッダ遺跡 ギメ美術館蔵 ビマラン棺(黄金の聖遺物容器)に刻まれた仏陀像 大英博物館蔵 菩薩像頭部 4世紀 シンガポール、アジア文明博物館(英語版)蔵
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