アフガニスタンとフォークランド (1980年代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:17 UTC 版)
「ヘリボーン」の記事における「アフガニスタンとフォークランド (1980年代)」の解説
ソビエト連邦は1979年よりアフガニスタンへの関与を深めており、同年12月より本格的な侵攻を開始した。当初、抵抗はすぐに鎮圧されるものと想定されていたが、実際には、ムジャーヒディーンとの長い戦闘を強いられることになった。 当時のソ連軍の装備・戦術体系は北大西洋条約機構(NATO)との戦闘を想定したもので、そのままでは対ゲリラ作戦に対応できなかったことから、試行錯誤が重ねられたが、特殊作戦、エアボーン、そしてヘリボーンは特に有用性が認められた。フルンゼ軍事大学(英語版、ロシア語版)が編纂した戦例集では、「全ての輸送隊にヘリコプターの護衛をつけるべきであったが、必ずしもそうすることはできなかった」と評された。 また1982年のフォークランド紛争では、発端となったサウスジョージア侵攻の際、アルゼンチン海兵隊はピューマおよびアルエットIIIによって上陸した。イギリス軍もヘリコプターを活用しており、揚陸の際に使用したほかにも、フォークランド諸島の道路状況が極めて劣悪だったために、上陸後の移動でもヘリボーンが多用されることになった。ただし当初派遣された機体だけでは足りず、追加の機体を輸送してきたコンテナ船「アトランティック・コンベアー」が撃沈されたことで、特にCH-47の不足に悩まされた。
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