アフガニスタンにおける共産政権の成立
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「サイクロン作戦」の記事における「アフガニスタンにおける共産政権の成立」の解説
1978年春、共産主義政党のアフガニスタン人民民主党がサウール革命により政権を掌握。数ヶ月のうちに反政府派がアフガニスタン東部で反乱を引き起こし、ムジャヒディンによる内戦へと瞬く間に発展してゆく。当時のパキスタン政府は訓練施設を反乱軍へ極秘裏に提供し、ソビエト連邦はPDPA政権に対し数1,000名もの軍事顧問を派遣することとなる。この間PDPA内部でもハルク派とパルチャム派による内ゲバが深まった結果、パルチャム派閣僚が罷免されたり、同派の軍官が逮捕される事態となった。 その後ハルク派の大統領であるヌール・ムハンマド・タラキーは1979年9月、同じくハルク派に属していた同僚のハフィーズッラー・アミーンが引き起こしたPDPA内部のクーデターにより暗殺、アミーンが大統領に就く。しかしアミーンはソビエトから不信感を抱かれていたため、12月には同国特殊部隊により暗殺されてしまう。その後、パルチャム派ではあるが両派を纏め上げたバブラク・カールマルが政権を率い、一応は空白期間を埋めた。
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