関連する文化財
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高瀬神社御旅所跡 市指定史跡 - 1962年(昭和37年)7月24日指定。南砺市江田地内の旅川岸で、高瀬神社の祭礼に神輿の巡幸があった御旅所の跡である。往古、高瀬の神がここで川舟を下りて足袋を洗い、陸路高瀬に向かったという伝説の地である。 大学寮勧学院田跡 市指定史跡 - 1966年(昭和41年)7月1日指定。平安時代の記録である「延喜大学寮式」にそのころの国の役人を育てる大学の学生に与える食費を得るために、越中国砺波郡に大学寮を置いたといわれる。 山田郷総社神明宮 拝殿は1943年(昭和18年)に井波の高瀬神社から譲り受け、原形のまま再建されたものであり、天明3年(1783年)の建築で、名工松井角平の作として有名である。 高瀬遺跡(石仏地区)国の史跡 - 1972年(昭和47年)3月22日指定。この遺跡は昭和45年(1970年)の秋、辺り一帯の水田の区画整理をしたとき、発見された。中央部には、直径20~30センチの柱根を残す3つの建物の跡があり、最も東側の南北に長い建物跡が、この遺跡の中心の建物であったと考えられている。主殿の後方には、南北に柵が作られていた。また、主殿の西側の小さな広場をはさんで、南北2つの建物跡がある。いずれも東大寺荘園の管理所であったと想像される。さらに、主殿の南側には、幅約3メートル、深さ約1メートルの蛇行した小川が発見された。また、1994年の調査では、石仏地区の隣接地から、「南万呂」と書かれた墨書土器も出土している。この小川の中からは、この川を利用して運んだと思われる木材などが見つかっている。また役所で使われたと思われる須恵器や土師器、北陸地方で初めての木簡が出土している。遺跡は高瀬遺跡公園として整備され、公園内には南砺市埋蔵文化財センター(旧 井波歴史民俗資料館)が所在する。 高瀬遺跡(穴田地区)県指定史跡 - 1972年(昭和47年)2月26日指定。石仏地区の横を流れる勧行寺川の、約300m上流に、県指定の高瀬遺跡穴田地区がある。この遺跡は、1971年に発掘調査が行われ、小規模な建物の跡や土器、木製品などがいくつも発見された。掘立柱建物の集落の跡があり、家の周囲のごみ捨て穴から出てきた土器などの遺物から、当時の人々の生活の様子を知ることができる。また、奈良時代や平安時代の銅銭、須恵器の蓋を使った硯、須恵器の底に「家成」「衣麻呂」「宅」と墨で書いた土器などが見つかっている。これらの遺物から、この集落には地方の豪族や役人も住んでいたと考えられている。現在この遺跡は水田下に保存されている。出土した土器や木製品は、高瀬遺跡公園内の南砺市埋蔵文化財センター(旧 井波歴史民俗資料館)で展示している。
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関連する文化財
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船大工樗木家関係資料(国指定重要文化財)久見崎にあった薩摩藩の軍港において船大工を勤めた樗木家に関係する資料であり、船の図面などが記載されている。1995年(平成7年)6月15日に国の重要文化財に指定され、薩摩川内市川内歴史資料館に保管されている。
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