スピシュスケー・ポドフラジエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/10 04:50 UTC 版)
「レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財」の記事における「スピシュスケー・ポドフラジエ」の解説
スピシュスケー・ポドフラジエ(英語版)は、スピシュスキー城の後部要塞から伸びる道を下りていった先にある麓の町で、ロマネスク様式の教区聖堂が残る。後述の「宗教都市」スピシュスカー・カピトゥラとの対比で、「経済都市」として発達してきた。15世紀には繊維産業で大いに賑わったものの、16世紀の大火のせいで、現在残る町並みにはルネサンス様式で再建されたときの建造物群が多く残る。 スピシュスケー・ポドフラジエの街路 スピシュスキー城から眺めたスピシュスケー・ポドフラジエ
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