アイデンティティ
『現代世界と禅の精神』(鈴木大拙) 宋代の仏眼和尚が、「自分とは何か?」という問題について、次のような譬えを出している。2匹の鬼が、旅人の四肢・頭・内臓などをすべて抜き取り、代わりに死体の四肢・頭・内臓などをつけた(*→〔入れ替わり〕6)。それでも旅人は、依然として生きていた。父母から受けた身体はなくなってしまい、今の身体は他人の死体だ。「いったい自分は誰か?」と、旅人は狂人のように迷い始めた。幸い旅人は、近くの寺のお坊さんに会って、迷いを解くことができた。
『ドグラ・マグラ』(夢野久作) 一切の記憶を失い精神病棟で目覚めた「わたし」は、大学生呉一郎の婚約者絞殺事件の記録を読み、「自分が呉一郎ではないか?」と思うが、目前の狂人解放治療場に呉一郎が立っているのを見て、呉一郎と「わたし」は別人であった、と安心する。しかし正木博士が「君は離魂病にかかっており、君自身の姿をあそこに幻視しているのだ」と言う。「わたし」は自分が誰なのかわからなくなり、現実の世界にいるのか夢を見ているのかも判断できない。
『人間そっくり』(安部公房) 「ぼく」は、「火星人」と称する男と議論したあげく(*→〔宇宙人〕3)、精神病院に入れられた。病院の医者が毎日、「ぼく」に問う。「ここは地球?それとも火星? 君は人間?火星人? 私は人間かな?火星人かな?」。この医者が正常な人間かどうかわからず、今いる場所も、火星に占領された地球かもしれず、逆に地球に占領された火星かもしれない。「ぼく」は地球人とも火星人とも言い得るのだ。
*鋳掛け屋スライは、「自分は殿様なのか」と思う→〔夢と現実〕3aの『じゃじゃ馬ならし』(シェイクスピア)「序劇」。
*自分が自分であることに、しだいに自信を失う→〔乗っ取り〕1bの『自信』(星新一)。
*知らず知らず仲間の口真似をしてしまい、自分が誰だかわからなくなる→〔真似〕5の『ダス・ゲマイネ』(太宰治)。
『粗忽長屋』(落語) 浅草の雷門の前に、行き倒れの死体がある。それを見た八五郎が「これは長屋の熊公だ」と思い、「お前が死んでるぞ」と熊公を呼んで来る。熊公も死体を見て「なるほど、これは俺だ」と認め、死体を引き取る。そして「死んでるのは確かに俺だが、それを抱いてる俺はいったい誰だろう?」と、首をかしげる〔*→〔財布〕1の『永代橋』(落語)にも、同様の場面がある〕。
『ナスレッディン・ホジャ物語』「ホジャ奇行談」 ホジャが旅に出る時、腰に紐で南瓜をくくりつけておいた。ある夜の宿で、いたずら者がホジャの紐をほどき、南瓜を自分の腰につける。翌朝ホジャは、腰に南瓜をつけた男が前を行くのを見て驚き、「わしは、あの男のはずだ。じゃあ、このわしは一体誰だ?」と言った。
*他人の行為を、「自分の行為だ」と誤認する男→〔靴(履・沓・鞋)〕3bの『笑府』巻6「認鞋」。
*自分を「他人だ」と誤認する男→〔坊主頭〕1bの『笑府』巻6「解僧卒」。
*自分たちは向こうの山の上にいる、と誤認する物語を連想させる→〔地図〕5。
『一千一秒物語』(稲垣足穂)「自分を落としてしまった話」 昨夜、電車からとび下りたはずみに、自分を落としてしまった。タバコに火をつけたのも、電車にとび乗ったのも、窓から街を見たのも、向かい側に腰かけたレディの香水の匂いも、ハッキリ頭に残っている。しかし気がつくと、自分がいなくなっていた。
『シンデレラの罠』(ジャプリゾ) 火事のため「私」は大火傷をして記憶を失い、「私」の幼な友達は焼死した。「私」は20歳の娘ミシェールで、莫大な遺産の相続人だと教えられるが、実は「私」はミシェールの幼な友達ドムニカで、ミシェールを殺し、彼女になり代わって遺産を得ようとしたのかも知れなかった。しかしミシェールは素行不良のため、遺産の受取人がドムニカに変更されたことが明らかになり、とすれば「私」はミシェールで、ドムニカを殺したのかも知れなかった。「私」は、自分がミシェールなのかドムニカなのか、わからない。
『知恵者エルゼ』(グリム)KHM34 エルゼが麦刈りをせずに畑で眠ってしまうので、夫ハンスが、多くの鈴つきの鳥網をエルゼにかぶせる。夜に目覚めたエルゼは、歩くたびに鈴が鳴るので驚き、果たして自分はエルゼなのかどうか疑わしくなる。家へ帰ると、ハンスから「エルゼならもう家にいる」と言われ、エルゼは「それなら私はエルゼではないんだ」と悲観し、村を出て行く。
『不思議の国のアリス』(キャロル) 不思議の国を訪れたアリスは、「今日はどうして何もかも変なのだろう。昨夜寝ているうちに、私が変わってしまったのだろうか」と首をひねる。「私が昨日の私と同じでないなら、私は誰だろう。私はエイダに変わってしまったのだろうか。それともメーベルになったのだろうか。きっとそうに違いない」とアリスは考え、泣き出す。
*自分の頭と他人の頭の区別ができない女→〔坊主頭〕1bの『坊主の遊び』(落語)。
『円環の廃墟』(ボルヘス) 1人の男が円形の神殿廃墟で長期間に渡って夢を見、夢の中で若者を創造し現実化して、遠方の神殿に送り出す。若者が「自分の実体は幻だ」と気づくのではないかと、男は懸念するが、やがて老いた男に死が訪れた時、男は、自分もまた誰かに夢見られている存在にすぎぬことを悟る〔*→〔夢〕4の『ユング自伝』11「死後の生命」に類似する〕。
*息子の夢から生まれた母親が息子を産む→〔母と息子〕3の『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)。
★4.アイデンティティを否定される男。
『ボルヘス怪奇譚集』「物語」 王がクシオスに「汝ではなくクシオスを死に処する」と宣告して、他国に追放する。その国でクシオスは名前を変えられ、新しい過去、新しい妻子が与えられる。クシオスが昔の生活を思い出すと、まわりがそれを打ち消して、「狂っている」とか何とか言い聞かせる。要するに皆が皆、クシオスに「お前はお前ではない人間だ」と告げるのだった(ポール・ヴァレリー『未完の物語』)。
『八月の光』(フォークナー) ジョー・クリスマスは、クリスマスの夜、孤児院の玄関先に棄てられていたので、そのように名づけられた。彼は見かけは白人だったが、5歳の時に「チビの黒ん坊」と言われ、自分は白人と黒人の混血ではないか、と疑うようになる。彼は白人としてのアイデンティティも、黒人としてのアイデンティティも持てぬまま、36歳で殺人を犯したあげく、捕われて虐殺される〔*虐殺の折、彼は去勢され、男としてのアイデンティティも奪われる〕。
『マグノリアの木』(宮沢賢治) 霧の中、諒安(りょうあん)は険しい山谷の刻みを1人で渉(わた)って行く(*→〔心〕14a)。太陽が現れ、見ると一面にマグノリアの木の花が白く咲き、「けはしくも刻むこころの峯々にいま咲きそむるマグノリアかも」という声が聞こえる。1人の人がいたので、諒安は「歌ったのは、あなたですか」と問う。その人は「ええ、私です。また、あなたです。なぜなら私というものも、あなたが感じているのですから」と説く。諒安は「私もまた、あなたです。私というものも、あなたの中にあるのですから」と言う。
『弥勒』(稲垣足穂)第2部 昭和13年(1938)頃。30代の半ばを過ぎた江美留は、東京牛込の墓地の隣のアパートに、身辺無一物で独居していた。腹を空(す)かせ、裸体に古カーテンを巻き付けた彼は、盂蘭盆の朝に悟った。「今から56億7千万年の後、龍華樹(りゅうげじゅ)下において成道し、釈迦牟尼仏の説法に漏れた衆生を済度すべき使命を託された者は、まさにこの自分でなければならない」と。そんな夢を、たしかに明け方に見た。
*化け物が、自分の素性を知らない→〔器物霊〕7の『徳利(とっくり)の化け』(アイヌの昔話)。
*自分が人間かアンドロイドかわからない→〔人造人間〕1の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(ディック)。
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