3 - 6歳
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「カンパニー (競走馬)」の記事における「3 - 6歳」の解説
2004年、3歳の時にデビュー。デビュー戦となった同年1月17日の京都第5競走(新馬戦)を勝利で飾ると、きさらぎ賞7着の後に2連勝しオープンクラスに上がる。ラジオたんぱ賞でも2着に食い込み、秋でも古馬相手に京阪杯で2着になるなどの活躍を見せた。 2005年、4歳になって初戦の中山記念を2着と好走。その後3戦は惨敗続きで勝ち星を挙げる事ができなかったが、前年惜敗した京阪杯を1番人気で制して悲願の重賞初勝利を挙げ、この年を終えた。 2006年、5歳になると初戦の中山記念を4着と良いスタートではなかったものの、産経大阪杯を制し重賞2勝目を挙げる。しかしその後4戦は展開不向きやレース中の不利続きでこの年は1勝しかできなかった。 6歳になった2007年、休み明けの関屋記念を圧勝し重賞3勝目を挙げ、8月30日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは111ポンドの評価が与えられた。その後は天皇賞(秋)に出走。道中は中団に位置し、直線では馬群の間を割って伸びてきたが不利を受け3着に敗れた。なお第1希望で香港カップ、第2希望で香港マイルに予備登録を行っていたが回避しマイルチャンピオンシップに3番人気出走したがメンバー最速の上がり3ハロンのタイム、33.7秒で走ったものの5着に敗れた。
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3-6歳(2009-12年)
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「セイウンワンダー」の記事における「3-6歳(2009-12年)」の解説
3歳となった2009年は3月8日、皐月賞のトライアル競走である弥生賞(JpnII)で始動し、8着。続く4月19日の皐月賞(JpnI)ではこれまで騎乗し続けていた岩田がアンライバルドに騎乗するために降板、代わりに内田博幸を迎えて臨んだが3着。5月31日の東京優駿(日本ダービー)(JpnI)では、内田がアプレザンレーヴを選んだために、福永祐一に乗り替わり臨んだが13着に敗れた。夏休みを経て、9月27日の神戸新聞杯(JpnII)で再始動し、3着。獲得した優先出走権を行使して10月25日の菊花賞(JpnI)に出走し、優勝馬スリーロールスに0.2秒に迫る3着となった。続いて12月27日の有馬記念(GI)で、古馬との初対決となったが6着となった。 古馬となった2010年は、マイラーズカップ(GII)で始動し4着。続いて安田記念(GI)に出走登録をしたが除外となり、次なる目標を天皇賞(秋)(GI)に切り替え、6月13日のエプソムカップ(GIII)に出走した。スタートから中団につけ、直線では外から追い出し、先に抜け出していたシルポート、キャプテンベガと並んで入線。それらにハナ差最先着を果たし、重賞3勝目、1年7か月ぶりの勝利を挙げた。 それから宝塚記念(GI)に出走するも、ブービー賞16着。秋はカシオペアステークス(OP)から始動する予定であったが、右前浅屈腱炎を発症して出走取消、長期離脱となった。競走馬総合研究所常磐支所にて療養した。6歳となった2012年に復帰の目処が立ち、入厩したが、同じ箇所の屈腱炎の再発が判明。戦線に復帰することなく、競走馬引退が決定した。2012年10月7日、日本中央競馬会の競走馬登録を抹消。
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36歳
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