36年ぶりの国外平地重賞勝利
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「日本調教馬の日本国外への遠征」の記事における「36年ぶりの国外平地重賞勝利」の解説
しぼんでいた国外遠征の機運を再び高めたのは、香港において創設された国際競走群であった。1988年に創設された「香港招待カップ」は香港とマレーシア/シンガポール地域との対抗戦として始まったが、間もなくオーストラリアとニュージーランドが招待国となり、その後も招待国枠が順次拡大されていく。1992年に「香港招待ボウル」が新設されると、翌1993年、同競走に日本からホクセイシプレーが出走し、約6年ぶりの国外戦を経験した。以後この開催は競走数を増やしていき、「香港国際競走」として定着。日本からも毎年複数馬が出走するようになり、関係者は異国での調整についての経験を蓄積していった。 1994年11月、日本中央競馬会は、次年度よりアイルランド、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、香港、カナダ、アメリカにおけるグレード(グループ)競走で3着以内、もしくはリステッド競走で1着となった場合に、褒賞金を交付するという方針を発表。その1995年からは遠征が活発化、アメリカ、フランス、香港で6頭が8戦に出走し、フランスのノネット賞ではダンスパートナーが同国のクラシック優勝馬・マティアラに僅差の2着と健闘、そして年末には香港国際カップにおいて、森秀行が管理し、蛯名正義が騎乗するフジヤマケンザンが優勝し、日本馬としてハクチカラ以来36年ぶりとなる日本国外での平地重賞制覇を達成した。これはスタッフもすべて日本人であるという観点では国外における初勝利であった。なお、当年より日本中央競馬会は国際格付委員会にハンデキャッパーを派遣し、従来独自基準で作成していた「フリーハンデ」を、より国際標準に近づけた「JRAクラシフィケーション」に改めた。
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