【1988~1993年】とは? わかりやすく解説

【1988~1993年】

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/08 10:06 UTC 版)

GRIFFIN」の記事における「【1988~1993年】」の解説

射延篤史と亮太中心となりGriffin結成結成当初メンバーサポートという形であったが、ギターにダブルボギーズの大西真、ドラムナイトメア川嶋オサム当時よく連んでいたS.O.B.鈴木義智(TOTTSUAN)の助言もあり、その音楽性はファッション含めて米国のホラーパンクバンド、“MISFITS”色の強いハードコアパンク大阪におけるパンク聖地とも言えるライブハウス花園町エッグプラント中心に精力的にライブ活動を展開。共演多かったバンドにレイプスやダンスマカブラやS.O.B挙げられる88年広島代表するハードコアパンクバンド愚鈍藤井ZIGYAKが代表を務める、加害妄想レコードよりファーストシングル「The Phamtom of the Shocker」をリリース。「今でも覚えてる。藤井さんウチからレコード出さないか?という言葉飛び上がって喜んだよ」。エッグプラントステージでデビロックを垂らしたフロントスリーブは前述S.O.B.トッツァン撮影雑誌フールズメイトのインディーズチャート初登場2位ランクインした(因みに1位はブルーハーツ3位はたま)。 この時期自らシリーズギグ“Coretic Rock Bout”を主催し、OUTOやボアダムス等がマッチメイクされている。 88年後半にはパーマネントメンバーとして、ギタリストに射延の中学時代の同級生江見洋之が加入江見ブルースロックンロール基盤にしたギタリストであったが、そこを逆手にとり他のハードコアバンドとは違ったアプローチグリフィン個性となっていく。89年10月アルケミーレコードコンピレーションアルバムFear』(レイプス、ダンスマカブラ、KGGM収録)に参加。「女子供愛撫するのがロックか?」と当時バンドブームへの立ち位置表明した初期代表曲Attitude」を収録。射延は当時、ダンスマカブラのサポートギタリストとしても活動していた。 90年アルケミーレコードより2ndシングル獅子吼」をリリースジャケットイメージモーターヘッドの“Ace of Spades”。強力なJapanese Hardcoreナンバーだが、ただの“ジャパコア”に終わらせない射延のソングライティングと、江見のギターアレンジが異彩を放っている。獅子吼の曲全体アウトラインWE CAN WORK IT OUT拝借しているという(言わずと知れたレノン・マッカートニー作)意外性もある。ここでドラムサポートの堀辺俊二が去り腰を据えて正式ドラマー探すライブ活動一時停止代わりにその後も関係が続く事になるMCRカンパニー弓削正隆協力によりソノシートLIVEFULMINATE」を発表するメンバー募集により弱冠20歳矢島圭がグリフィン初の正式ドラマーとして加入初めてのロングツアーや、夏には7日間連続ツアー等経験しバンドマンとしての体力培うことになった正式メンバー4人が揃ったバンド17ヶ月ライブ中断しミーティングリハーサル重ねていく。髪を切り典型的なパンクギアを外し今までハードコアパンク的なアプローチ止め、元々ずっと射延の心の真ん中にあったザ・クラッシュ姿勢音楽性回帰していく。折良く92年ザ・ポーグスwithジョー・ストラマー来日アイリッシュミュージック知った射延はマンドリン購入江見誰からかバンジョー借り1日基本的奏法攻略本は、旅行訪れたアイルランドダブリン楽器店で、A ~Gまでのキーのティンホィッスルを購入し1stアルバムレコーディングに入る。因みにアルケミーレコードJOJO広重氏の尽力により来日したジョー・ストラマーポーグスメンバー一晩過ごし語り合った出来事いわゆる“Mealstrom Night”は2ndアルバム収録All in Griffin”で歌われている。 92年プロデューサー関西パンク重鎮林直人一般的には初期INUギタリストで有名)を迎えアルケミーレコードより1stアルバムThe Album』を発表。ゲストアコーディオン奏者切石智子キーボードピアノに、ガールズロックバンド、C.Cライヤー三浦島田両名サウンドに彩を添えた前述の生楽器取り入れたグリフィン流アイリッシュトラッドとクラッシュの“Know your rights”のカバーを含むパンク楽曲混在する内容に昔からのファン戸惑ったようである。射延によると「林さんポーグスとか全く知らなかったから、スタジオで座って延々とビール呑んでいた(苦笑)。」そうだ。収録されグリフィン日本語期の代表的な楽曲“Shipworms”は西山裕介(バルザック)が大学授業紹介した際、教授から褒められたという逸話がある。 93年初頭1stアルバム発売記念初のワンマンライブ以降解散までホームとなる十三ファンダンゴ開催あまりに変化した音楽性についてこれるのか?と不安はあったが、結果満員御礼1年半ぶりのグリフィンライブを皆待ち望んでいた一方、ポーグスアプローチのプレイに射延曰く今までファンがぽっかーんとしてるのを目の当たりにした」。またこのライブから生まれた前述切石智子加えアコースティックギター実弟の射延博LRF)、ベース大洞一己BLADE)が参加した布陣は、グリフィン7と称しこの後資金源強奪 E.P.」をリリースバンド名義は愚理歩胤)。MCR拠点福知山Sound Ratt様々な工夫遊び凝らして録音した東映映画資金源強奪」(ふかさくきんじ監督北大路欣也主演)テーマカバーは秀逸出来栄えだ。この2作品のプロモーションツアー、初の北海道では、地元テレビ情報番組江見矢島生出演。(射延は気管支炎発症し病院緊急搬送され、本はススキノトラブル巻き込まれ任意警察出頭中の為、不参加)。そして地元大阪では、同時にUltra Punk Gig Series TRUE FORCE”にほぼレギュラー出演LRFBLADEPHOENIXといったバンド達と共演果たしていく。

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