【1994〜1998年】とは? わかりやすく解説

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【1994〜1998年】

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/08 10:06 UTC 版)

GRIFFIN」の記事における「【1994〜1998年】」の解説

94年オリジナルメンバー一人本が「なにやっても面白くない」と脱退告げるが、新曲リハーサルやっていくうちに「なんかおもろなってきた」とあっさり脱退撤回。この新曲Rockers Daylight」はシングルとして射延自身レーベルH.O.Lレコードから発売。ポーグスアプローチとパンクロック結実したグリフィン代表曲となる。B面シャングリラス"Long live our love”のカバー95年来たるアルバム先行シングルLive in the first degree」(前シングルからお馴染みとなったB面カバーSLADEの“Run Runnaway”)をMCRからリリース福知山Sound Ratt合宿レコーディング行い2ndアルバムAll in Griffing Swift Revenge』が完成。「収録曲半分録音に入るまでに、ツアープレイしてモノにしてたから、スムーズにグルーヴ出せたと自負してます。ベーシック全曲6時間ほどで仕上げた記憶してます」ドラマー矢島振り返る。 1stアルバムと同様、生楽器取り入れた楽曲パンクロック混在し内容だが、前作より演奏達者になり、よりそれが深く融合され充実作だ。また当時ヒット連発して所謂小室サウンド挑戦したナンバーもあり、他のパンクバンドではあり得ない一般大衆流行取り込む遊び心グリフィン個性とも言える。そしてこの作品あたりから射延は英詞の韻を踏むライミング面白さ没頭し始め以降作品発揮されていくことになる。 プロモーションツアーを終えたバンドは、MCRカンパニーコンピレーション『TORTAL INSUBORDINATION』に参加BALZACLRFSDS等が参加している。V.Aリリース記念イベントにも参加した後、射延はアコースティックアプローチから一旦距離を置き、90年代ストリートロックを形にすべく、新たに曲を書き出した本の素晴らしベースラインに耳を奪われるU.K.Subs直系ナンバー「No Call」は、「90年代というより80年代かな?ノーコールはストリートパンクロックの最たるもの」と射延は言う。今回シングルB面カバークラッシュの“ハマースミス宮殿の白人”の英詞替歌で、タイトル歌詞一節でもある“They ain't got no roots rock rebel”に変えている。そして、このツアー終了と共に矢島圭がバンド去ったバンドは新ドラマーに元バルザック西尾肇を迎え8月法政大学でのイベント参加10月射延博LRF)が立ち上げたレーベルREAL DEAL Recordsからグリフィン初のベストアルバムThe Best of Griffin from the West』がリリース単独でのLPレコードはこれが最初で最後)。 97年初頭ニューシングルThe Age of Innocence発売5月発売記念ワンマンライブ敢行。射延と射延博はビル・レッキー(Allegiance)を伴い渡英主な目的8月来日決定してワンウェイシステムとの最終打ち合わせとザ・ウォリアーズa.k.a.ラストリゾートのアーサー・ケイ宅に訪問して来日交渉であった帰国後、恒例福知山でニューアルバムの合宿レコーディング。そして8月ワンウェイシステムのサポートアクト10日前、西尾精神的プレッシャーの為か突如消息を断つ。残り10日叩けるのは矢島かいない依頼矢島は見事クアトロステージ勤め上げそのまま正式に復帰する。「あの時矢島凄く頼もし友達思えて泣きそうだったねぇ」''友達"と形容した射延。そして10月最終的に1番売れたという3rdアルバム『We Stand Firm』がMCRより発売ジャケットタイトル、フットボールギアをまとったスリーブ写真見ればわかるように、ブリティッシュユースカルチャーとOiStreet Punk影響全開快作である。シングル曲の“No Call”“The Age of Innocence”は再録され、この時期グリフィン象徴するキャッチーなシンガロングナンバー“What a Stormer”は以降ライブハイライトになっていく。 11月初来日したザ・ビジネスのサポートアクトを果たし97年終える。 翌98年サッカーW杯フランス大会控えイングランド代表チーム熱狂的なファンだった射延は"迷案"を形にすべく、イングランド非公式サポーターソングとして「France '98 issue」と題したシングル発表A面SLADEの"グッバイジェーン”を改題、イングランドスクワッド風にリリック変えたカバー“Gudluc T' Glenn”。グレンとは当時イングランド代表監督グレン・ホドルの事。B面もテラスィーズチャントで有名なOh Sweet England”のカバー収録。だが約10年苦楽を共にした江見5月広島公演最後に脱退。「振り返って思うよ、、、当時江見辛かっただろうなって最終的には、グリフィン江見洋之という対立の構図出来てたし。ロックバンドオン ザ ロードあるあるかもしれないけど、はっきりしてることは、僕等は、良いギタリスト失ったって事」。このシングルA面後半、歌の後ろでずっと鳴っている江見のギターソロは文句なしカッコよく、素晴らし置き土産であった因みにこのシングル英国のパンクプレスに掲載された。 江見脱退後滋賀県バンド、サンディストのギタリスト山下伸幸始め大阪バンド、クラッシュドッグスの仲佐竜一が、ギタリスト不在バンド救いの手差し伸べ、ショートツアーを敢行12月にはREAL DEAL Records招聘により英国ストリートパンクの大物ザ・ウォリアーズ(a.k.a ラストリゾート日本公演実現グリフィンもサポートアクトで出演した。この来日公演は『The Ultimate Street Music Convention 』というタイトルで、日本側の共演バンド含めたライブパッケージ盤としてリアルディールよりリリース

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