久留米市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 10:18 UTC 版)
地名
「久留米」という地名は室町時代から文献に見られ、「久留目」とも書かれた。(「報恩寺坪付帳」によると応永25年(1418年)には「久留目」という地名が記されている)
その語源については、
- 筑後守吉志公忠が天慶7年(944年)に注進した「筑後国神名帳」に「玖留目神を祭祀した」との記述があり、これによるとするもの。
- 上古、大陸から渡来した機織りの工人集団がこの地に住んでいたので「呉部(繰部くりべ)」の居住した地、あるいは「呉姫(くれひめ)」、「呉女(くれめ)」、「繰女(くりめ)」とよんだのがクルメに転訛したというもの。
- 用明天皇の皇子である「来目皇子(くめのみこ)」に由来するというもの。(来目皇子は新羅討伐のため筑紫に下り推古11年(603年)福岡県糸島郡志摩町久米で病死している)
- 筑後川が大きく蛇行していることから、それを意味するクルメク(転く)を語源とするもの。
などの諸説があるが定説はない。
歴史
律令制下で制定された令制国の一つである筑後国の国府が置かれ、以後、筑後国の中心として栄えた。平安時代末期の長寛2年(1164年)、肥前国の豪族草野永経が現在の草野地区(旧草野町)に入り、以後約400年間、北部の山本郡は草野氏が支配し、南部の三潴郡は筑後十五城筆頭の柳川の蒲池氏と久留米市西牟田の西牟田氏が支配してきた。
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州国分の結果、筑前・筑後と肥前のそれぞれ一部を与えられた小早川隆景の養子・秀包が久留米城に入った。関ヶ原の戦いの結果秀包は改易され、石田三成を捕らえた三河国岡崎城主田中吉政が柳川城に入り、筑後一国を治めた。元和6年(1620年)、柳川2代目藩主田中忠政が死去すると田中家は無嗣断絶となった。田中領筑後一国は南北に分けられ、うち北部に有馬豊氏が丹波国福知山(現在の福知山市)から加増移封され、以後久留米は有馬氏の統治による久留米藩の中心地となった。江戸時代は藩の殖産興業策もあり久留米絣など、商業都市として発展する。
廃藩置県によって久留米県の県庁所在地となったが、1871年(明治4年)に三潴県に統合され、1876年(明治9年)に三潴県が福岡県に統合されたため県庁所在地ではなくなった。 1897年(明治30年)に第12師団、1907年に第18師団の駐屯地になってからは軍都としても膨張、1922年(大正11年)に始まった地下足袋生産がゴム化学工業の発展に結びつく。
太平洋戦争末期、1945年(昭和20年)8月11日の久留米空襲により死者212名、焼失戸数4,506戸を出した。
1953年(昭和28年)6月に九州一帯を襲った昭和28年西日本水害では、筑後川にかかる橋梁の流出や氾濫が発生。特に、宮の陣付近で発生した堤防決壊個所からは、濁流が櫛原町、篠山町を襲い多くの家屋が浸水した[4]。
1960年(昭和35年)3月19日、国立療養所久留米病院で火災。精神科病棟など3棟が全焼し、入院患者11人が焼死した[5]。病院は1994年(平成4年)に国立病院機構九州医療センターとして福岡市へ移転、統合された。
市政
- 1911年(明治44年)9月13日 - 市章を制定する[6] 。
- 1951年(昭和26年) - 「久留米市の歌」を制定。
- 2001年(平成13年)4月1日、特例市に指定。
- 2005年(平成17年)2月1日 - 市域拡大を記念し「ふるさとのささやき 〜新久留米市の歌〜」を制定、市歌が2曲並立となる。
- 2008年4月1日、中核市に移行[7]。
- 2015年11月2日 - 久留米市を中枢都市とし、大川市・小郡市・うきは市・三井郡大刀洗町・三潴郡大木町と「連携中枢都市圏」を形成することを宣言する[8][9]。
行政区域の変遷
※【編入】とあるもののうち、特記ないものは久留米市への編入。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制度発足により、久留米市が市制施行。日本で最初に市制施行した31市のひとつ。当時は日本で一番人口の少ない市であった。
- 1894年7月21日 - 【町制施行】草野村 ⇒ 草野町
- 1896年2月26日 - 郡区町村編制法により、御井郡・山本郡 ⇒ 三井郡、竹野郡 ⇒ 浮羽郡となる。
- 1900年5月31日 - 【町制施行】城島村 ⇒ 城島町
- 1901年4月9日 - 【町制施行】北野村 ⇒ 北野町
- 1917年(大正6年)10月1日 - 【編入】鳥飼村
- 1922年8月1日 - 【町制施行】国分村 ⇒ 国分町
- 1923年8月1日 - 【編入】櫛原村
- 1924年11月1日 - 【編入】国分町
- 1939年(昭和14年)2月11日 - 【町制施行】大善寺村 ⇒ 大善寺町
- 1940年2月11日 - 【町制施行】善導寺村 ⇒ 善導寺町
- 1943年10月1日 - 【編入】御井町
- 1949年9月1日 - 【町制施行】荒木村 ⇒ 荒木町
- 1951年4月1日 - 【編入】合川村・上津荒木村・山川村
- 1951年4月1日 - 【対等合併】川会村・柴刈村 ⇒ 筑陽村
- 1951年6月1日 - 【編入】高良内村
- 1954年12月1日 - 【対等合併】田主丸町・水分村・筑陽村・水縄村・竹野村および船越村(のちの吉井町、現うきは市)の一部 ⇒ 田主丸町
- 1955年1月1日 - 【対等合併】荒木町・安武村 ⇒ 筑邦町
- 1955年2月1日 - 【対等合併】城島町・青木村・江上村 ⇒ 城島町(新町制)
- 1955年3月1日 - 【対等合併】北野町・弓削村・大城村・金島村 ⇒ 北野町(新町制)
- 1955年7月20日 - 【対等合併・町制施行】犬塚村・三潴村 ⇒ 三潴町
- 1956年9月30日 - 【編入】大善寺町 ⇒ 筑邦町
- 1958年9月1日 - 【編入】宮ノ陣村・山本村
- 1959年4月1日 - 【編入】大橋村 ⇒ 善導寺町
- 1960年7月1日 - 【編入】草野町
- 1967年2月1日 - 【編入】筑邦町
- 1967年4月1日 - 【編入】善導寺町
- 1989年(平成元年)2月28日 - 三潴郡三潴町が筑後市と境界変更
- 1989年6月28日 - 三潴郡城島町が大川市と境界変更
- 1989年9月27日 - 八女郡広川町と境界変更
- 1991年2月27日 - 一部を八女郡広川町に編入(境界変更)
- 1992年12月15日 - 小郡市と境界変更
- 1994年9月13日 - 久留米市及び三潴郡三潴町が境界変更
- 1995年4月14日 - 三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更
- 1996年2月26日 - 筑後市の一部を編入(境界変更)
- 1996年2月26日 - 八女郡広川町と境界変更
- 1996年2月26日 - 浮羽郡田主丸町が浮羽郡吉井町と境界変更
- 1997年4月23日 - 三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更
- 1998年12月18日 - 三潴郡城島町が大川市と境界変更
- 2000年8月31日 - 三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更
- 2001年3月12日 - 浮羽郡田主丸町が朝倉郡朝倉町及び浮羽郡吉井町と境界変更
- 2001年4月1日 - 特例市に移行
- 2001年6月4日 - 三潴郡城島町が三潴郡大木町と境界変更
- 2003年2月14日 - 三潴郡三潴町が筑後市及び三潴郡大木町と境界変更
- 2003年2月14日 三井郡北野町が小郡市と境界変更
- 2003年2月14日 三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更
- 2003年4月8日 - 八女郡広川町と境界変更
- 2005年2月5日 - 【編入】北野町・三潴町・城島町・田主丸町
- 2008年4月1日 - 中核市に移行
久留米市 | ||||||||||
三井郡 | 櫛原村 | 1923 | ||||||||
国分村 | 国分町(1922) | 1924 | ||||||||
御井町 | 1943 | |||||||||
山川村 | 1951 | |||||||||
上津荒木村 | ||||||||||
合川村 | ||||||||||
高良内村 | ||||||||||
宮ノ陣村 | 1958 | |||||||||
山本村 | ||||||||||
草野村 | 草野町(1894) | 1960 | ||||||||
善導寺村 | 善導寺町(1940) | 1959 | 1967 | |||||||
大橋村 | ||||||||||
北野村 | 北野町(1901) | 北野町(1955) | 2005 | |||||||
弓削村 | ||||||||||
金島村 | ||||||||||
大城村 | ||||||||||
三潴郡 | 鳥飼村 | 1917 | ||||||||
荒木村 | 荒木町 (1949) |
筑邦町(1955) | 1967 | |||||||
安武村 | ||||||||||
大善寺村 | 大善寺町(1939) | 1956 | ||||||||
城島村 | 城島町(1900) | 城島町(1955) | 2005 | |||||||
青木村 | ||||||||||
江上村 | ||||||||||
犬塚村 | 三潴町(1955) | |||||||||
三潴村 | ||||||||||
浮羽郡 | 田主丸町 | 田主丸町(1954) | ||||||||
水分村 | ||||||||||
川会村 | 筑陽村 (1951) | |||||||||
柴刈村 | ||||||||||
水縄村 | ||||||||||
竹野村 | ||||||||||
船越村(一部) |
歴代市長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 任期 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
歴代市長[10][注釈 1] | |||||
初 | 内藤新吾 | 1889年5月17日 | 1894年4月9日 | 1期 | 前久留米藩公用人 |
2 | 田中順信 | 1894年5月21日 | 1898年10月25日 | 1期 | 前市長時の助役 |
3 | 石田瑞穂 | 1898年12月15日 | 1904年12月14日 | 1期 | 前市長時の助役 |
4 | 吉田惟清 | 1905年9月9日 | 1910年11月 | 1期 | 前久留米市会議長、弁護士、病気により辞任 |
5 | 若林卓爾 | 1910年12月29日 | 1916年12月20日 | 1期 | 岐阜県の郡長歴任後、帰郷就任 |
6 | 石津和風 | 1917年5月31日 | 1921年2月2日 | 1期 | 辞職勧告決議可決後辞任 |
7 | 船越岡次郎 | 1921年7月2日 | 1929年8月 | 2期 | 1925年、7/1離任、8/21再任、前久留米警察署長 |
8 | 石野斐夫 | 1930年1月3日 | 1938年1月10日 | 2期 | 1934年、1/11再任 |
9 | 石橋徳次郎(二代) | 1938年4月17日 | 1942年4月16日 | 1期 | 名誉市長(無給)、日本ゴム会長 |
10 | 後藤多喜蔵 | 1942年12月25日 | 1946年10月22日 | 1期 | 公職追放により辞任 |
久留米市長(公選) | |||||
11 | 岡幸三郎 | 1947年4月6日 | 1953年2月10日 | 2期 | 病気により辞任 |
12 | 山下善助 | 1952年3月12日 | 1956年2月29日 | 1期 | 杉本勝次は、次弟 |
13 | 杉本勝次 | 1956年3月1日 | 1963年1月10日 | 2期 | 前福岡県知事、北九州市長選挙出馬の為辞任 |
14 | 井上義人 | 1963年2月8日 | 1971年2月6日 | 2期 | 前市長時の助役 |
15 | 近見敏之 | 1971年2月7日 | 1987年2月6日 | 4期 | 前市長時の助役 |
16 | 谷口久 | 1987年2月7日 | 1995年2月6日 | 2期 | 前市長時の助役 |
17 | 白石勝洋 | 1995年2月7日 | 2003年2月6日 | 2期 | 元久留米市職員 |
18 | 江藤守國 | 2003年2月7日 | 2010年1月2日 | 2期 | 元久留米市職員、病気により辞任 |
19 | 楢原利則 | 2010年2月1日 | 2018年1月30日 | 2期 | 元久留米市職員、前市長時の副市長、大刀洗町出身 |
20 | 大久保勉 | 2018年1月31日 | 2022年1月30日 | 1期 | 元参議院議員 |
21 | 原口新五 | 2022年1月31日 | (現職) | 1期目 | 元久留米市議会議員 |
行政
市長
- 原口新五(1期目)
- 任期:2026年1月30日
市の機関
国の機関
- 福岡法務局久留米支局
- 福岡地方裁判所久留米支部
- 久留米簡易裁判所
- 福岡家庭裁判所久留米支部
- 福岡地方検察庁久留米支部
- 久留米区検察庁
- 久留米検察審査会
- 福岡国税局久留米税務署
- 長崎税関本関三池税関支署久留米出張所
- 久留米公共職業安定所(ハローワーク久留米)
- 久留米労働基準監督署
- 久留米年金事務所
- 福岡運輸支局久留米自動車検査登録事務所
- 九州地方整備局筑後川ダム統合管理事務所
- 九州農政局福岡地域センター久留米支所
- 北部九州土地改良調査管理事務所
県の機関
- 福岡県久留米総合庁舎
- 久留米県税事務所
- 北筑後保健福祉環境事務所(分庁舎)
- 筑後労働者支援事務所(子育て女性就職支援センター)
- パスポートセンター久留米支所
- 両筑家畜保健衛生所
- 筑後県民情報コーナー
- 久留米県土整備事務所
- 久留米商工事務所
- 福岡県久留米児童相談所
- 筑後川水系農地開発事務所
警察
消防
- 久留米広域消防本部 - 久留米市・小郡市・うきは市・大刀洗町・大木町
自衛隊
国立研究開発法人
- 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)管理本部(九州沖縄管理部久留米事業場)[11]
- 農研機構九州沖縄農業研究センター筑後・久留米研究拠点
注釈
出典
- ^ 気象庁
- ^ “平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
- ^ “観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
- ^ 「久留米全市に避難命令」『日本経済新聞』昭和28年6月27日 9面
- ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、143頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 図典 日本の市町村章 p207
- ^ “中核市久留米”. 久留米市 (2015年12月4日). 2020年7月11日閲覧。
- ^ 西日本新聞(11月3日)
- ^ “連携中枢都市圏構想”. 久留米市 (2020年4月2日). 2020年7月11日閲覧。
- ^ 年月日は、官報、国立公文書館資料、福岡県全誌. 下編、久留米市史、久留米市HP歴代市長 による。詳細不明分は月のみ
- ^ “農研機構について/組織概要”. 農研機構. 2020年2月3日閲覧。
- ^ “筑後地域の議員一覧”. 福岡県議会公式ホームページ (2023年5月16日). 2023年6月10日閲覧。
- ^ 高原敦、野上隆生、外尾誠 (2022年1月25日). “自民の分裂、一変した久留米市長選 広がった「鳩山一強」への反発”. 朝日新聞デジタル 2022年3月2日閲覧。
- ^ “暴力団排除特別強化地域一覧”. 福岡県警察. 2024年1月29日閲覧。
- ^ ブリヂストンHP久留米工場概要
- ^ 厚生労働省 平成21年地域保健医療基礎統計”
- ^ “通勤定期利用補助金【くるめのくらし|久留米シティプロモーション】”. くるめのくらし|久留米シティプロモーション. 2022年6月15日閲覧。
- ^ “日本航空2人目の女性代表取締役専務 鳥取三津子さん インタビュー「準備と継続、活水で学ぶ」”. 長崎新聞 (2023年9月16日). 2024年1月17日閲覧。
- ^ 日本航空社長に鳥取三津子氏が就任へ 初の客室乗務員出身者で女性 TBSテレビ、2024年1月18日
- ^ “久留米観光サイトほとめきの街久留米”. 2019年4月26日閲覧。
- ^ a b c d e 水天宮に鎮座する真木神社 東林寺天満宮
- ^ 公式
- ^ 久留米市
- ^ “久留米市:アビスパ福岡との「フレンドリータウン協定」締結”. www.city.kurume.fukuoka.jp. 2024年1月9日閲覧。
固有名詞の分類
- 久留米市のページへのリンク