久留米工業専門学校時代
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「久留米工業専門学校 (旧制)」の記事における「久留米工業専門学校時代」の解説
1944年4月: 久留米工業専門学校と改称 (3月28日勅令第165号)。本科学科: 機械科 (旧機械科 + 旧精密機械科 + 旧工作機械科)・鉱山機械科・採鉱科・化学工業科 (旧工業化学科)・ゴム工業科 (新設)。 1945年2月: 科学研究技術員養成所を附設。第1期生(男女): 1945年2月入学 - 同6月卒業、第2期生(女子): 同7月入学 - 同12月卒業。 1945年8月9日: 機械科3組、動員先の長崎で原爆に被爆 (三菱兵器)。教員1名・生徒8名死亡。10月9日、学校葬。 1946年5月: ゴム工業科を新設。従来のゴム工業科在籍者は化学工業科へ移籍。 1947年6月: 大学昇格委員会設置。単独での大学昇格を目指したが、のちに文部省の一県一大学方針により挫折。 1948年5月: 文部省、明治工専との合同大学設置を斡旋。 1948年6月2日: 九州大学が佐賀高との合併を断念し久留米工専に合併申入れ。 1948年6月9日: 教員会議、九州大学との合併案を了承。 1948年6月22日: 学生大会、合併3案を討議。合併3案は、(1) 明治工専と (2) 福岡青師と (3) 九州大学と。第2案はすぐに却下され、第1案と第3案では、通学事情 (特に下宿問題) 等を考慮して僅差で第3案が採択された。 1949年5月31日: 新制九州大学発足。久留米工専は九州大学工学部 (旧制) と共に工学部の母体として包括され、九州大学久留米工業専門学校となった。 久留米工専校地には、九州大学生産科学研究所久留米分室が設置された。 1949年7月1日: 校地に九州大学第二分校設置。 1951年3月31日: 九州大学久留米工業専門学校 (旧制)、廃止。
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