久留米工業専門学校時代とは? わかりやすく解説

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久留米工業専門学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 18:00 UTC 版)

久留米工業専門学校 (旧制)」の記事における「久留米工業専門学校時代」の解説

1944年4月久留米工業専門学校改称3月28日勅令165号)。本科学科機械科 (旧機械科 + 旧精密機械科 + 旧工作機械科)・鉱山機械科採鉱科・化学工業科 (旧工業化学科)・ゴム工業科 (新設)。 1945年2月科学研究技術養成所附設第1期生(男女): 1945年2月入学 - 同6月卒業第2期生(女子): 同7月入学 - 同12月卒業1945年8月9日機械科3組動員先の長崎原爆被爆三菱兵器)。教員1名・生徒8名死亡10月9日学校葬。 1946年5月ゴム工業科を新設従来ゴム工業在籍者化学工業科移籍1947年6月大学昇格委員会設置単独での大学昇格目指したが、のちに文部省の一県一大方針により挫折1948年5月文部省明治工専との合同大学設置斡旋1948年6月2日九州大学佐賀高との合併断念し久留米工専合併申入れ1948年6月9日教員会議九州大学との合併案を了承1948年6月22日学生大会合併3案を討議合併3案は、(1) 明治工専(2) 福岡青師(3) 九州大学と。第2案はすぐに却下され、第1案と第3案では、通学事情 (特に下宿問題) 等を考慮して僅差第3案が採択された。 1949年5月31日新制九州大学発足久留米工専九州大学工学部旧制と共に工学部母体として包括され九州大学久留米工業専門学校となった久留米工専校地には、九州大学生産科学研究所久留米分室設置された。 1949年7月1日校地九州大学第二分校設置1951年3月31日九州大学久留米工業専門学校 (旧制)廃止

※この「久留米工業専門学校時代」の解説は、「久留米工業専門学校 (旧制)」の解説の一部です。
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