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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/28 01:53 UTC 版)
学者のニック・ランスはラッフルズものの3つの分類を同定している。「新しい女性の登場」ラッフルズはロマンスとの関わりを避けるか、その目的を達するために女性ののぼせ上がりを利用している。「財閥の登場」ラッフルズは上流階級と同じ程度の成金から盗みを働く。さらに「中流階級意識の感覚を再確認あるいは再構築する」ことを求めた物語、という分類だった。この3つ目の分類は社交界の一員ではなく、クリケットの能力とそれにともなう名声の故に受け入れられるラッフルズに基づいていた。この観点から、ラッフルズが金持ちから盗むことは、「ピューリタンの価値観のために後衛となる行動」であり、それは中流階級の価値観を作り上げるものと考えられる。ただしランスは、それらの価値観が階級間の境界を変えることによって曖昧になると言っている。ガリーピーは同じ指摘をしており、「ラッフルズの大胆な功績と空想を呼ぶ冒険は、世紀の変わり目においてヴィクトリア調の感受性に対して大きくなる反乱を象徴している」と考えている。 ホーナングは科学や医学の発展に遅れないようにしており、その物語に取り込むことに熱心だった。「コンテンポラリー・オーサーズ」の批評家はホーナングが「現代性に敏感であり、新しいアイデアに決定的な興味を持って」いたと述べている。『カメラの悪魔』ではカメラという現代技術を筋書きの中心となるものに使っている。一方『犯罪博士』の主人公は犯罪者を同定するために心理学を使っている。 ラッフルズの物語りを通じて、愛国心が断続的なテーマとして出て来る。作家のウィリアム・ビビアン・バトラーが「超愛国者」と言うほどである。短編『A Jubilee Present』の中で、ラッフルズはヴィクトリア女王の在位60周年を祝い、大英博物館から金の杯を盗み、それを女王に贈って、マンダースには「世界でも絶対的に素晴らしい君主によって、60年間を我々は支配されてきた。」と告げていた。『神の膝』では、ラッフルズは第二次ボーア戦争での従軍を志願し、名前と髪の色を変えている。マンダースには、「母国のために染める」用意があると冗談を言っている。後にはスパイの正体を暴くために、上官に自分の正体を告白している。 『縄の影』、『英雄無し』、『1000番目の女性』などホーナングの小説の幾つかは、「現代的で好ましい描き方で女性を表現している」ことで特徴がある。「コンテンポラリー・オーサーズ」の批評に拠れば、社会における女性の不平等な地位への関心を示している。コックスは多くの作品を通じて罪悪感というテーマを挙げている。『Peccavi』では牧師が以前の犯罪を償おうとしながらその生を生きている。『縄の影』では、ある女性が夫の殺人を告発する。『1000番目の女性』では、ある女性が、愛人が殺人で告発された後で、その傍に生きている。 ホーナングのオーストラリアでの経験は短かったが。1899年に出版された『藪から現れた花嫁』から、死後に出版された『年取った違反者と幾つかの古いスコア』まで、文学作品の多くに影響を残している。チャンドラーに拠れば、「ホーナングの著書の3分の2近くが、何らかの程度でオーストラリアでの出来事と経験に言及しており、「ラッフルズまでも」オーストラリアでその犯罪経歴を始めている。ホーナングの作品の幾つか、『藪から現れた花嫁』などは、オーストラリアの環境を詳述する正確さを称賛されている。ただし、『悪漢の3月』のように詳細がストーリー展開を圧倒している場合もある。 オールド・ラッフルズは例外的な犯罪者であるかもしれないし、そうでないかもしれないが、クリケットの選手として彼はユニークであると敢えて言おう。彼自身、危険なバット、輝かしい運動場、そしておそらく彼の時代の中で大変素晴らしく緩りとしたボールを投げる人だ ラッフルズに関するマンダースの発言、『素人の金庫破り』、1907年 クリケットはホーナングの終生愛好したものの1つであり、1907年にメリルボン・クリケット・クラブの会員になれたことを喜んだ。このスポーツはその作品にも生かされており、ラッフルズはジェントルメン・オブ・イングランドでプレイする。ランスは、ラッフルズが法を破ることとクリケットを比較して「犯罪はもう1つより良いスポーツであると認められる」と述べている。 ラッフルズはゲームを時として軽く見ており、「ジェントルメン・アンド・プレイアーズ」に属するマンダースに、「貴方が人のスプーンを望むときに、その三柱門を取る満足感はどこにあるのだ?」とコメントしている。バレンタインもその点を検討し、ラッフルズがクリケットを「私の性癖について人に与える栄光ある保護だ」と褒めていることを挙げて、犯罪行動の前線にあると見ている。 ワトソンはラッフルズの行動をスポーツマンであるということの幅広い流れの中で検証し、その行動は「なしたものと、なされなかったものの」道徳規律の中にあると見ている。オーウェルはその随筆『ラッフルズとブランディッシュ嬢』の中で、ラッフルズが自責の念を感じたときに、「ほとんど純粋に社会的である。「古い学校」を不名誉に感じており、「礼儀正しい社会」に入る権利を失い、そのアマチュアの状態を放棄して下劣な男になった」と述べている。
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