主要チーム
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「1971年南アフリカグランプリ」の記事における「主要チーム」の解説
前年の終盤5戦のうち4戦で優勝したフェラーリはV型8気筒のフォード・コスワース・DFVエンジン搭載車よりも圧倒的であり、シーズン開幕前はエースのジャッキー・イクスがチャンピオンの最有力候補と予想されていた。強力な水平対向12気筒エンジンにも改良の手を加えるとともに、新車312B2の制作にも着手した。312B2は開幕前のテストで初披露されたが、クレイ・レガツォーニがテスト中に312B2を激しくクラッシュさせたため、本レースからの投入は見送られた。ドライバーラインナップもエースのイクスと前年に衝撃的なデビューを果たしたレガツォーニに加え、アメリカでのレースがない場合にマリオ・アンドレッティが参加するという強力な布陣であった。前年のチャンピオンチームであるロータスは若いエマーソン・フィッティパルディとレイネ・ウィセルが残留し、前年に登場した72Cを走らせる傍ら、プラット・アンド・ホイットニー製のガスタービンエンジンを搭載する四輪駆動車56Bの設計も進行していた。前年のシーズン終盤にコンストラクターとしてデビューを果たしたティレルはジャッキー・スチュワートとフランソワ・セベールが残留し、前年はスチュワートのみに自製マシン001が与えられたが、長身のセベール用にホイールベースを延長した002が用意された。前年に大々的に新規参入してコンストラクターズランキング3位となったマーチはドライバーラインナップをロニー・ピーターソン、アンドレア・デ・アダミッチ、アレックス・ソラー=ロイグ(英語版)に一新した。新車711はユニークな曲線フォルムとノーズの先端に載せられたテーブル状のウィングが設置される個性的なスタイルであった。エンジンはピーターソンとソラー=ロイグがDFVを、デ・アダミッチのみアルファロメオ(V8)を使用する。ジャック・ブラバムが前年をもって引退し、共同創設者のロン・トーラナック(英語版)に後事を託されたブラバムはベテランのグラハム・ヒルが加入し、本レースのみ地元出身のデイヴ・チャールトンがラッキーストライクの支援を得てスポット参戦する。マクラーレンはデニス・ハルムとピーター・ゲシンが残留し、ライジングレートサスペンションが特徴の新車M19Aをハルムが走らせる(ゲシンは前年型のM14A)。BRMはエースのペドロ・ロドリゲスが残留し、マーチから移籍のジョー・シフェールと新人ハウデン・ガンレイが加わった。マシンは前年型P153の改良版でチゼル(鑿)ノーズが特徴の新車P160が投入された。マトラはジャン=ピエール・ベルトワーズが残留し、マーチから移籍のクリス・エイモンが加入した。ベルトワーズは前記の通りライセンスの停止により欠場を余儀なくされた。マシンは前年型MS120の改良版であるMS120Bを使用する。サーティースは前年をもってチーム活動を終えたロブ・ウォーカー・レーシングチームと、同チームのスポンサーであったブルックボンド(英語版)/オクソ(英語版)の支援を受け、オーナーのジョン・サーティースが自ら設計したTS7の改良熟成型TS9を走らせる。2台目にはアウト・モトール・ウント・シュポルト(英語版)とアイフェラント・キャラバンのスポンサーを得たロルフ・シュトメレンがブラバムから移籍してきた。これに加えて本レースのみブライアン・レッドマンがTS7でスポット参戦する。
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主要チーム
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「1969年南アフリカグランプリ」の記事における「主要チーム」の解説
1969年シーズンはこれまで通り南アフリカGPで開幕したが、前年までの1月から3月に変更された。開幕までの数週間までに、各チームのエントリーが発表された。フェラーリを除く全チームは2台をエントリーすると予想されていた。フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリは1台のみエントリーすることを発表した。当初、フェラーリは説明もなく2台エントリーを行うとしていたので、ほとんどの人が驚いた。しかし、これは後に変更され、最終的にクリス・エイモンのみ参加した。ブラバム、BRM、マトラ・インターナショナル、マクラーレンは2台、ロータスは3台をエントリーした。 この年の開幕当初、フェラーリはF1のみならずF2、スポーツカー、Can-Am、ヒルクライムといったあらゆるレースに参戦し、その費用が年々高騰していったため深刻な財政難に陥っていた。ジャッキー・イクスがブラバムへ去ったため、ドライバーは残留したエイモンのみとなり、開発責任者のマウロ・フォルギエリは、四輪駆動のF1マシンや新型水平対向12気筒(厳密には180度V型12気筒)エンジンを搭載する新車312Bの開発に集中するため、一時的にその職を解かれた。この年使用する312はノーズを平たくし、エンジンの排気管を外側に戻して印象は変わったが、基本的には前年仕様のままであった。ロータスは前年度王者のグラハム・ヒルが残留し、ヨッヘン・リントがブラバムから移籍した。彼らに加え、前年にF1デビューを果たしたマリオ・アンドレッティがアメリカでのスケジュールが許す範囲でスポット参戦を行う。マクラーレンはエースのデニス・ハルムとオーナーのブルース・マクラーレンのニュージーランドコンビを継続した。マトラはワークスのマトラ・スポールがスポーツカーレースに専念したため、ケン・ティレル率いるセミワークスのマトラ・インターナショナルのみが参加し、ジャッキー・スチュワートに加え、ワークスからジャン=ピエール・ベルトワーズが移籍してきた。BRMはホンダからジョン・サーティース、ロータスからジャッキー・オリバーが移籍してラインナップを一新した。前年はレプコエンジンの信頼性不足に泣かされ低迷したブラバムは、エンジンをフォード・コスワース・DFVに変更し、マシンも前年のBT26に小改変を加えたBT26Aを投入した。ドライバーはオーナーのジャック・ブラバムに加え、フェラーリからイクスを迎えた。ホンダ、クーパー、イーグルが前年をもってF1から撤退した一方、この年新たに参入するワークスチームはなかった。
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