Du Qiong (Three Kingdoms)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Du Qiong (Three Kingdoms)の意味・解説 

杜瓊

(Du Qiong (Three Kingdoms) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 15:06 UTC 版)

杜瓊
蜀漢
太常
出生 生年不詳[1]
益州蜀郡成都県
死去 延熙13年(250年
拼音 Dù Qióng
伯瑜
主君 劉璋劉備劉禅
テンプレートを表示

杜 瓊(と けい)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。伯瑜益州蜀郡成都県の出身。

事績

若い頃、任安から図讖を学び、その術を究めた。劉璋の時代に召し出されて従事となった

劉備が益州を平定すると、議曹従事に任じられた。

劉禅の皇帝即位後は諫議大夫に任命された。その後も、左中郎将大鴻臚太常と昇進を続けた。

杜瓊は控え目な性格で言葉少なく、門を閉ざして世俗に関わろうとしなかった。蔣琬費禕らはみな杜瓊の才能を高く評価していた。

延熙13年(250年)、八十余歳で亡くなった。『韓詩章句』を著したが子供たちに教えなかったので、図讖の術を継承する者はいなかった。

脚注

  1. ^ 160年代

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Du Qiong (Three Kingdoms)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Du Qiong (Three Kingdoms)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの杜瓊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS