DRCの登場と東武特急の繁栄
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「けごん」の記事における「DRCの登場と東武特急の繁栄」の解説
1720系DRC 「けごん」 1720系DRC 「きぬ」 東武博物館に静態保存される1720系DRC 1960年(昭和35年):1720系DRCが特急に就役。この新車投入は、1959年に国鉄が「日光形」157系を準急「日光」に投入し時間短縮と客室居住性向上を図ったことへの対応策であり、折からの世界規模の国際観光ブーム到来や4年後に開催される東京オリンピックに対応するための外国人観光客対策でもあった。なお、本車両の詳細は車両記事項目を参照。 1962年(昭和37年):1720系の特急に「けごん」「きぬ」の愛称を専属で付与され、上り・下りとも「けごん」「第2けごん」のように2番目以降の列車に番号を振った。東武日光発着特急に、新たに「ようめい」の愛称が使用された。 同時に1720系使用列車の営業最高速度を110km/hに引き上げた。特急停車駅:浅草 - 下今市 - 東武日光・鬼怒川温泉(東武日光発着の1往復は下今市通過) 運行本数:浅草 - 東武日光間(特急平日4往復土日は3往復、急行平日下り2本上り1本休日は下り3本上り2本)、浅草 - 鬼怒川温泉間(特急平日下り4本上り2本土日は下り4本上り3本、急行平日下り3本上り4本土曜は4往復)、浅草 - 赤城間(急行毎日3往復) 1963年(昭和38年):上りの特急・急行の全列車を、営団日比谷線(1969年からは千代田線も)および都心方面へ直通する国鉄常磐線との乗り換えのために北千住駅への停車を開始。 1964年(昭和39年):1720系運行列車を「D特急」とし、1700系運行列車を「特急」という種別呼称を使用する。「D」は1720系の通称「デラックスロマンスカー」 (DRC) の頭文字である。後に6000系は5700系とともに急行列車にも使用される。特急停車駅:浅草 - 東武日光、浅草 - 鬼怒川温泉 - 鬼怒川公園 運行本数:浅草 - 東武日光・鬼怒川間(特急平日計10往復土日は11往復、急行毎日2往復)、浅草 - 赤城間(急行毎日4往復)、浅草 - 葛生間(急行毎日1往復、赤城発着便に併結)、浅草 - 伊勢崎間(急行毎日1往復、赤城発着便に併結) 料金:D特急300円、特急200円、急行100円 1967年(昭和42年):東上線池袋 - 寄居 - 羽生 - 杉戸 - 東武日光間の臨時列車として「にっこう」が運転される。高度経済成長により自動車産業等の内陸工業が隆盛した伊勢崎線方面への急行列車が大幅増発された。特急停車駅:浅草 - 東武日光、浅草 - 鬼怒川温泉 - 鬼怒川公園 運行本数:浅草 - 東武日光・鬼怒川間(特急平日計10往復土日は11往復、急行平日2往復休日3往復)、浅草 - 赤城間(急行毎日下り7本上り6本)、浅草 - 葛生間(急行毎日上り1本)、浅草 - 伊勢崎間(急行毎日1往復、赤城発着便に併結) 1969年(昭和44年)3月21日:列車の発車順に付与される番号を改変し、上りを偶数、下りを奇数とする。6月11日付けで「D特急」「特急」から「A特急」「B特急」と種別呼称を変更する。この時点でB特急列車の列車名を東武日光発着を「なんたい」、鬼怒川公園発着を「たかはら」と統一。 1969年(昭和44年)9月27日:大宮駅発着の臨時急行「きりふり」「りゅうおう」の運転を開始する。「きりふり」 - 日曜祝日の朝方に東武日光行・夕方は大宮行を運転。 「りゅうおう」 - 土曜日の昼に鬼怒川温泉行を運転。 途中停車駅は岩槻・春日部・下今市のみ。車両は5700系を使用した。 1971年(昭和46年):1700系による特急の運転を終了し、すべての特急が1720系による運行となる。なお、1700系も1720系と同様の更新され、改められて再び特急として使用されることになる。 1972年(昭和47年)11月11日:大宮駅発着の臨時急行「きりふり」「りゅうおう」の運行を終了する。なお、廃止以降も散発的に団体扱いで運行されることがあった。 1973年(昭和48年):新栃木 - 東武日光間に一部残っていた単線区間が複線に復旧。これにより、下り「けごん」のノンストップ列車は浅草 - 東武日光間を1時間41分で走破し、表定速度は80km/hを超えた。特急停車駅:浅草 - 下今市 - 東武日光(一部下り便は下今市通過、上り全便北千住停車)、浅草 - 下今市 - 鬼怒川温泉 - 鬼怒川公園(上り全便北千住停車) 運行本数:浅草 - 東武日光・鬼怒川間(特急毎日計15 - 17往復、急行毎日計2往復)、浅草 - 赤城間(急行毎日15往復、一部便は区間便)、浅草 - 葛生間(急行毎日1往復) 1984年(昭和59年)12月15日:18時15分頃に家中駅付近で17時に浅草を発車した鬼怒川温泉行「きぬ」号が乗用車と衝突する事故が発生。これにより、1756号の前面部と車内および1755号の車内が焼損し、復旧まで1か月を要した。この時期は年末年始の繁忙期だったこともあり、復旧までの代行として5700系6両編成を充当したが、車両性能面やサービス面で1720系と差があり、特に運行ダイヤは1720系のそれに対応できないので、5700系の車両性能に合わせた。そのため、乗客には特急券の払い戻しや、乗車予定者はそれを了解の上で乗車した。 1985年(昭和60年)1月12日:1756号+1755号の事故復旧工事が完了。 4月1日:1号車が禁煙車に指定される。 1986年(昭和61年)8月26日:ダイヤ改正により一部の下り列車が通過していた下今市駅に全列車停車開始。 1988年(昭和63年)8月9日:ダイヤ改正により新栃木駅・新鹿沼駅に下り6本・上り5本が停車開始。
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