DRCの登場と東武特急の繁栄とは? わかりやすく解説

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DRCの登場と東武特急の繁栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:09 UTC 版)

「けごん」の記事における「DRCの登場と東武特急の繁栄」の解説

1720DRC 「けごん」 1720DRC 「きぬ」 東武博物館静態保存される1720DRC 1960年昭和35年):1720DRC特急就役。この新車投入は、1959年国鉄が「日光形」157系準急日光」に投入し時間短縮客室居住性向上を図ったことへの対応策であり、折から世界規模国際観光ブーム到来4年後に開催される東京オリンピック対応するための外国人観光客対策でもあった。なお、本車両の詳細車両記事項目を参照1962年昭和37年):1720系の特急に「けごん」「きぬ」の愛称専属付与され上り・下りとも「けごん」「第2けごん」のように2番以降列車番号振った東武日光発着特急に、新たにようめい」の愛称使用された。 同時に1720使用列車営業最高速度を110km/hに引き上げた特急停車駅浅草 - 下今市 - 東武日光鬼怒川温泉東武日光発着の1往復下今市通過運行本数浅草 - 東武日光間(特急平日4往復土日は3往復急行平日下り2本上り1本休日下り3本上り2本)、浅草 - 鬼怒川温泉間(特急平日下り4本上り2本土日は下り4本上3本急行平日下り3本上り4本土曜は4往復)、浅草 - 赤城間(急行毎日3往復1963年昭和38年):上り特急・急行の全列車を、営団日比谷線1969年からは千代田線も)および都心方面直通する国鉄常磐線との乗り換えのために北千住駅への停車開始1964年昭和39年):1720運行列車を「D特急」とし、1700系運行列車を「特急」という種別呼称使用する。「D」は1720系の通称デラックスロマンスカー」 (DRC) の頭文字である。後に6000系5700系とともに急行列車にも使用される特急停車駅浅草 - 東武日光浅草 - 鬼怒川温泉 - 鬼怒川公園 運行本数浅草 - 東武日光鬼怒川間(特急平日10往復土日11往復急行毎日2往復)、浅草 - 赤城間(急行毎日4往復)、浅草 - 葛生間(急行毎日1往復赤城発着便併結)、浅草 - 伊勢崎間(急行毎日1往復赤城発着便併結料金:D特急300円、特急200円、急行100円 1967年昭和42年):東上線池袋 - 寄居 - 羽生 - 杉戸 - 東武日光間の臨時列車として「にっこう」が運転される高度経済成長により自動車産業等の内陸工業隆盛した伊勢崎線方面への急行列車大幅増発された。特急停車駅浅草 - 東武日光浅草 - 鬼怒川温泉 - 鬼怒川公園 運行本数浅草 - 東武日光鬼怒川間(特急平日10往復土日11往復急行平日2往復休日3往復)、浅草 - 赤城間(急行毎日下り7本上り6本)、浅草 - 葛生間(急行毎日上り1本)、浅草 - 伊勢崎間(急行毎日1往復赤城発着便併結1969年昭和44年3月21日列車発車順に付与される番号改変し、上り偶数下り奇数とする。6月11日付けで「D特急」「特急」から「A特急」「B特急」と種別呼称変更する。この時点でB特急列車列車名東武日光発着を「なんたい」、鬼怒川公園発着を「たかはら」と統一1969年昭和44年9月27日大宮駅発着臨時急行きりふり」「りゅうおう」の運転を開始する。「きりふり」 - 日曜祝日朝方東武日光行・夕方大宮行を運転。 「りゅうおう」 - 土曜日の昼に鬼怒川温泉行を運転。 途中停車駅岩槻春日部下今市のみ。車両5700系使用した1971年昭和46年):1700系による特急の運転を終了しすべての特急1720系による運行となる。なお、1700系1720系と同様の更新され改められて再び特急として使用されることになる。 1972年昭和47年11月11日大宮駅発着臨時急行きりふり」「りゅうおう」の運行終了する。なお、廃止以降散発的に団体扱い運行されることがあった。 1973年昭和48年):新栃木 - 東武日光間に一部残っていた単線区間複線復旧。これにより、下り「けごん」のノンストップ列車浅草 - 東武日光間を1時間41分で走破し表定速度は80km/hを超えた特急停車駅浅草 - 下今市 - 東武日光一部下り便下今市通過上り全便北千住停車)、浅草 - 下今市 - 鬼怒川温泉 - 鬼怒川公園上り全便北千住停車運行本数浅草 - 東武日光鬼怒川間(特急毎日15 - 17往復急行毎日計2往復)、浅草 - 赤城間(急行毎日15往復一部便は区間便)、浅草 - 葛生間(急行毎日1往復1984年昭和59年12月15日1815分頃に家中駅付近17時浅草発車した鬼怒川温泉行「きぬ」号が乗用車衝突する事故発生。これにより、1756号の前面部と車内および1755号の車内焼損し、復旧まで1か月要した。この時期年末年始繁忙期だったこともあり、復旧までの代行として5700系6両編成充当したが、車両性能面やサービス面で1720系と差があり、特に運行ダイヤ1720系のそれに対応できないので、5700系車両性能合わせた。そのため、乗客には特急券払い戻しや、乗車予定者はそれを了解の上乗車した1985年昭和60年1月12日:1756号+1755号の事故復旧工事完了4月1日1号車禁煙車指定される1986年昭和61年8月26日ダイヤ改正により一部下り列車通過していた下今市駅に全列車停車開始1988年昭和63年8月9日ダイヤ改正により新栃木駅新鹿沼駅下り6本・上り5本が停車開始

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