CDCの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 04:18 UTC 版)
PLATO IV は製品化できるまでの品質レベルに達し、ウィリアム・ノリスはこれを製品化することにますます関心を寄せるようになった。ビジネスの観点から、ノリスはCDCをハードウェア製造企業からサービス企業へと進化させたいと考えており、コンピュータ支援教育は将来有望な市場と思われた。また、ノリスは1960年代末の社会不安の原因は社会的不平等にあると考えていて、それを何とかしたいと考えていた。PLATOは高等教育を受けられない若者に大学並みの教育を受ける機会を与えられる可能性があった。 ノリスは1960年代末にCERLに機材を提供してシステム開発を支援した。1971年、CDC内にPLATOのコースウェアを開発する部門を創設し、CDC内の従業員教育や技術マニュアルの多くをPLATOシステムのコースウェアとした。1974年、CDCのミネアポリス本社でもPLATOの運用を開始し、CDC Cyber の新機種をプロジェクトに寄贈するのと引き換えにシステムの商用化権を手に入れた。 CDCはこの契約を発表し、1985年までに同社の売り上げの半分がPLATOサービスによるものになると主張した。1970年代を通じてCDCは、商用ツールおよび失業者の新規業種向けの再訓練用ツールとしてPLATOを積極的に売り込んでいった。ノリスはPLATOの可能性をあきらめきれず、農夫のための作物情報システムやスラムの若者のための様々なコースなど、主流ではないコースの開発にも投資した。 1980年代初め、CDCは新聞・雑誌やラジオなどでPLATOの大々的な広告宣伝を開始する。プロジェクトは6億ドルとなり、CDC社内ではこの方針に反対する声も上がった。The Minneapolis Tribune 紙はその広告の文言に疑問を持ち、調査を開始した。調査の結果、そのシステムはよりよい教育システムであると証明されたわけではないが、少なくとも利用者は楽しんでいるということがわかった。外部調査機関による公式の評価でも、似たような結論となっている。すなわち、利用者は皆楽しんでいるが、教育効果という意味では平均的な人間の教師と基本的に変わらないという結果だった。 もちろん、コンピュータ支援教育が人間の教師と同等の効果を発揮したということは大きな成果であり、CBTの先駆者らが目標としていたことである。コストさえかければ、コンピュータで全生徒に対応することができ、ストライキも起こさない。しかしCDCは開発費用を少しでも回収するため、同社のデータセンターへのアクセスに1時間50ドルという料金を課した。そのため、人間の教師を雇うよりも高くつくという状況になってしまい、PLATOの実用化は失敗に終わった。それでも、システムを購入する大企業や政府機関も若干存在した。 PLATOをより大衆化する試みとして、1980年に Micro-PLATO が登場した。これは機能を限定したTUTORシステムをCDCの端末 "Viking-721" で動作させるもので、他にもいくつかのホームコンピュータへの移植版も登場した。TI-99/4A、Atari 8ビット・コンピュータ、Zenith Z-100 などに移植され、さらに後にはラジオシャックのTRS-80や IBM PC にも移植された。Micro-PLATO はスタンドアロンでも使えるし、CDCのデータセンターに接続してマルチユーザープログラムを利用することもできる。このためCDCは1時間5ドルの Homelink サービスを開始した。 ノリスはPLATOにこだわり続け、1984年になっても、ほんの数年でPLATOがCDCの主要収入源となると主張していた。ノリスが1986年にCEOを引退すると、徐々にPLATOサービスは縮小されていった。後にノリスはPLATOが失敗した原因は Micro-PLATO にあると主張した。TI-99/4A を最初のプラットフォームに選んだが、TIは間もなくホームコンピュータ市場から撤退し、アタリのシステムも似たような結果となった。ノリスはPLATOシステムの価値はオンライン性にあるとし、その部分が欠落していた Micro-PLATO は時間の無駄だったとしている。 ビッツァーはCDCの過ちについてもっと率直に、同社の企業文化が問題だったと主張している。ビッツァーによれば、コースウェア開発コストはコース実施時間1時間あたり平均30万ドルで、CERLは似たようなコースウェアにもそれだけのコストを支払っていたと指摘している。したがって、CDCがコストを回収しようとすれば高い価格設定にせざるを得ず、価格が高ければ多くの人は寄り付かない。ビッツァーは、CDC社内にコースウェア開発部門を設置し、その部門が利益を上げることを指示したことが高い価格設定になった原因だと指摘した。
※この「CDCの時代」の解説は、「PLATO」の解説の一部です。
「CDCの時代」を含む「PLATO」の記事については、「PLATO」の概要を参照ください。
- CDCの時代のページへのリンク