63丁目線地下鉄部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/25 05:05 UTC 版)
「プログラム・フォー・アクション」の記事における「63丁目線地下鉄部」の解説
1976年夏までに、セントラル・パークから新しい63丁目トンネルを通ってジャマイカに至る南東クイーンズ線の一部を構成する63丁目線は、計画されていた5.8マイルのバイパス急行線が着工に至っていないこともあり、1987年から1988年へと遅れていた。当局は既存のクイーンズ・プラザ駅隣のノーザン・ブールバードに、クイーンズ・ブールバード線本線の列車と63丁目線/バイパス急行線の列車の乗り換えができる新駅を、1983年か1984年までに完成させようと提案した。この路線のマンハッタン側の区間はこの年に完成した。 ニューヨーク・タイムズは1978年5月に、「新線は1フィート当たり10万ドルかかり、とても短くわずかな乗客にしか利用されない」と述べ、拡大計画は当初の長さの5分の1に削減されたと報じた。この記事ではクイーンズバイパス急行線は「早くても1988年」に遅れると述べ、進展している区間は63丁目線のノーザン・ブールバードまでと「アーチャー・アベニューのわずかな区間」だとした。63丁目線のジャマイカまでの開通日は1985年を予定していた。1979年初めの時点で、40マイルに及ぶ新線を宣言する張り紙が依然として見られたものの、このうち25マイルはこの時点でもはや計画されていなかった:244。1980年には、MTAはプロジェクトを停止して、酷く破壊され老朽化し利用者がいなくなっている、既存の地下鉄構造物に資金を振り向けると決定した。この時点で63丁目線は1985年に完成する予定であったが、バイパス線はそれより後とされていた。1981年に、資金不足によりMTAのすべての新地下鉄・バスプロジェクトに関する入札は、63丁目線とアーチャー・アベニュー線の既に建設されていた区間以外について停止された。MTAは63丁目線をマンハッタンからロングアイランドシティまで完成させることを承認した。 1983年春に、MTAはトンネルについて洗い直し、5つの可能性を検討した。この提案は、トンネルをそのまま放置するものから、ロングアイランドシティに終点を置くもの、1960年代当初のロングアイランド鉄道本線までつなぐものまであり、最後のものはこの時点で10億ドルかかると見積もられていた。21丁目-クイーンズブリッジ駅の1984年時点での利用客予想は、地下鉄網の他の部分に接続しないのであれば、1時間当たり220人であるとされた。MTAはこの路線をより活用できる他の4案を検討した。 クイーンズバイパス急行線: 路線をフォレスト・ヒルズ-71番街駅までロングアイランド鉄道本線に沿って延長する。1998年に完成見込みで9億3100万ドルかかる。これは1968年のプログラム・フォー・アクション当初計画でこの路線について提案されていたものである。またこの案は、E系統およびF系統の急行列車の輸送力と旅客数を増やす唯一の案であるとMTAは考えていた。ノーザン・ブールバードに提案されていた駅ではクイーンズ・プラザ駅への乗換コンコースが設けられ、各駅停車、急行、そして新設のバイパス線の列車の間で乗換ができるものとされた。 63丁目線をノーザン・ブールバードにおいてINDクイーンズ・ブールバード線の緩行線へとつなぐ。この案はもっとも早い1993年までに完成し、もっとも建設距離が短く(29丁目からノーザン・ブールバードまで約1,500フィート、約450メートル)、最も安い2億2200万ドルであった。しかし、地下鉄網で最も混雑しているクイーンズのE系統およびF系統は、こうした接続では輸送力増強とならず、一方で63丁目線は線路容量の3分の1の列車しか走らせられず、さらに将来的な路線延長の実現可能性を減じることになった。またこの案では、G系統をクイーンズ・ブールバード線で各駅停車として運行するのを止めて、コート・スクエア駅で折り返さなければならない。この案に似たものが最終的に選ばれ、F系統は混雑緩和のために63丁目線経由に変更され、G系統はコート・スクエア駅以北の運行を打ち切られた。 路線をサニーサイド車両基地(英語版)経由で延長し、ロングアイランド鉄道モントーク支線(英語版)に乗り入れて、ジャマイカのアーチャー・アベニュー線下層階へ直接向かう。クイーンズのモントーク支線は現状貨物列車のために用いられており、旅客列車は1998年に廃止されている。この路線を改築して電化するものであった。モントーク支線は121丁目のすぐ西のルファーツ・ブールバードでBMTジャマイカ線の高架区間に合流し、BMT側からアーチャー・アベニュー線へのアプローチを利用する。ジャマイカの高架線はブルックリンのクレセント・ストリート駅までに短縮され、バスで代行される。新駅を、サニーサイド車両基地内のトムソン・アベニュー、モントーク支線沿いにかつてのフレッシュ・ポンド駅跡のフレッシュ・ポンド・ロード、かつてのリッジウッド駅跡のウッドヘイブン・ブールバードに設ける計画であった。モントーク支線の廃止となったリッチモンド・ヒル駅は、改修されて地下鉄対応用に延長される予定であった。ロングアイランド鉄道は夜間に貨物列車専用にこの線路を使用する。5億9400万ドルかかり、開通は1997年とされたが、計画上は新しい跨線橋などを設けて踏切を除去するとしていたものの、列車の通行が増大することと多くの踏切の危険性を恐れたため、モントーク支線沿線住民は反対していた。 この路線をサニーサイド車両基地内に設ける新しい地下鉄とロングアイランド鉄道のターミナル駅トムソン・アベニューまで延長し、クイーンズ・プラザ駅への徒歩乗換を提供し、モントーク支線でローズデールやクイーンズビレッジへ向かう新たなロングアイランド鉄道の系統へも接続する。ロングアイランド鉄道は改築され、平面交差が除去され、電化される。リッチモンド・ヒル駅はロングアイランド鉄道の列車本数増加に備えて改築され、ホリス駅とクイーンズ・ビレッジ駅は相対式ホームから島式ホームに改築される。4億8800万ドルかかり、1995年完成とされたが、やはりモントーク支線沿線住民から反対された。 中央クイーンズの郊外にあるグレンデール(英語版)、リッジウッド(英語版)、ミドル・ビレッジ(英語版)といったコミュニティは、それらのそばを通っているモントーク支線に関わるいかなる提案にも強く反対した。最終的に合意された計画は、2億2200万ドルの費用と少なくとも8年をかけて、トンネルをINDクイーンズ・ブールバード線へとつなぐというものであった。このプロジェクトは1時間当たり16,500人の乗客を見込めるとされた。これは、何もしないという以外ではもっとも安い案であった。MTAの取締役会はこの計画を1984年12月14日に承認した。63丁目線のロングアイランドシティまでの区間は、1985年末までに開通すると見込まれた。 1985年までに、この路線の建設費は8億ドルに達しており、使用可能にするためには修理にさらに2億ドルを要するとされた:355。MTAはこの路線の放棄も検討したが、トンネルが検査されて健全であると診断されたことから、MTAはクイーンズのロングアイランドシティに、21丁目-クイーンズブリッジ駅を追加することを決定した:355。しかし、63丁目線の東部クイーンズへの延伸はもはや計画されていなかった。ただし、21丁目-クイーンズブリッジ駅を過ぎたところのトンネル終端部に、将来的な急行バイパス線に向けた準備工事が実施された。 1984年の提案に基づいて実行に移されたものはなかった。63丁目線は10年以上の遅れを経て、1989年に開通したが、終点は21丁目-クイーンズブリッジ駅であり、かつては壮大な計画の路線は「どこにもつながらない役に立たない地下鉄」となった。1990年に、クイーンズ・ブールバード線接続の修正案が選択され、クイーンズ・ブールバード線の緩行線と急行線の双方の線路につなげられることになった。2001年に、29丁目にある63丁目線のクイーンズの終端部からクイーンズ・ブールバード線の36丁目駅への接続が完成し、クイーンズ・ブールバード線の緩行および急行列車の双方が63丁目線へと走れるようになった。この接続工事には6億4500万ドルがかかり、大きな系統変更が行われた。1985年の接続案では、B系統、N系統(1987年までクイーンズ・ブールバード線を運行)、Q系統(当時はQB系統と呼称)、そしてK系統の復活が63丁目線経由でクイーンズ・ブールバード線またはバイパス線へと延伸されることになっており、一方F系統は53丁目経由のままとされることになっていた。連絡線工事の一環として、将来的なバイパス線や乗換駅の建設といった工事を容易にするために、新たな準備工事が実施された。
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