63年後の改元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:11 UTC 版)
昭和から平成へと元号が変わる際にも、マスコミの報道が過熱しており、委嘱されそうな学者の自宅前には多数の記者が張り込むなどしていた。特に、東京日日新聞の後身である毎日新聞は、新元号を他社に先んじて掲載することに躍起になっていた。これが奏して、1989年(昭和64年)1月7日の夕刊3版では全国紙で唯一「平成」の文字が掲載され、他社は夕刊4版(最終版)での掲載となり、35分ほど他社に先駆けて報道することができた。このことは毎日新聞社130周年記念で出版された社史『「毎日」の3世紀』において、「見事スクープ、63年ぶり雪辱果たす」として「光文」誤報事件の名誉挽回を果たせたとした。 朝日新聞等の他社は、同日14時36分の小渕恵三内閣官房長官(当時)の「平成改元」記者会見後に発行した号外及び夕刊(最終版)で掲載した。 昭和の次の元号は「旭日(あさひ)」「和光」であるという流言蜚語も登場した。
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