30代初めまでの軌跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 04:43 UTC 版)
「チュ・ジンモ」の記事における「30代初めまでの軌跡」の解説
チュ・ジンモは甘いマスクと印象的な瞳を持った「花美男(イケメン)」と評される。またテコンドー公認3級、水泳、野球、スケート、乗馬等を習得しており、鍛えられた肉体と抜群のスタイルを合わせもった「モムチャン(韓国語で健康な肉体をもった者の意)」でもある。デビュー前を振り返ると、チュ・ジンモはソウル特別市の出身で一男三女の末子として育ち、高校時代にはヘビーメタル・グループのリーダーとして音楽に熱中していたという。高校卒業後はインチョン(仁川)専門(短期)大学体育学科に進学するものの、学業を中断して兵役についた。兵役を終えた後には、俳優であり大学の演劇学科の教授を務めたこともあるユ・インチョンが主催する「劇団ユ・インチョン・レパートリー」の研究劇団員となり、練習室に寝泊まりして演劇やダンスの練習に励んだという。また、デザイナーのハ・ヨンスに見出され韓国人として初めて『プラダ』の紙面モデルとなった。さらに、コーヒーのコマーシャルと人気歌手のミュージック・ビデオへの出演によって、爽やかなイケメンとして注目された。だが、容姿によってのみ評価されるのではなく、演技によって評価されたいという想いは、彼のその後の役者人生の核となっていく。 映画デビューは1997年の映画『朴 対 朴』である。また、1999年の映画『ダンス ダンス』で初めて主役を演じている。同年の映画『ハッピーエンド』では、後にカンヌ映画祭で主演女優賞を受賞した名女優チョン・ドヨンとともに大胆なベッドシーンを演じて、大鐘賞映画祭助演男優賞を受賞している。けれども、受賞の喜びも束の間、封建的な映画評論家によって、ベッドにおける行為は演技ではないというコメントが寄せられ、彼は心の痛みを感じたという。 映画『ハッピーエンド』で知名度をあげた彼は、大作時代劇映画『MUSA -武士-』(2001年)に主役級の演技者として出演する機会を得た。この映画は企画・製作に5年、中国オールロケ撮影、製作費70億ウォンといった数々の記録を残している。中国映画界を代表する女優チャン・ツィイー、韓国映画界の重鎮アン・ソンギ、当時の青春スターチョン・ウソン等の著名な俳優・女優が出演した作品でもある。だが、中国の砂漠や山間地域での5カ月にも及ぶ撮影の苦労にもかかわらず、チュ・ジンモ自身の演技力はあまり評価されなかった。しかし、テレビドラマの世界ではチュ・ジンモの状況は必ずしも不調であったとはいえない。1999年にドラマ『悲しい誘惑』でテレビドラマへの初出演を果たし、ドラマ『怒った顔で振り返れ』(2000年) やドラマ『パンチ 〜運命の恋〜』(2003年)では主役を演じて、テレビ局の演技賞を受賞している。『怒った顔で振り返れ』には後の名優キム・ミョンミンが助演俳優として出演し、ドラマ『パンチ 〜運命の恋〜』には人気女優シン・ミナが相手役として出演しているところからも、チュ・ジンモがいかに嘱望されていたかがわかる。だが、彼は持ち前の真面目さと映画への思い入れの強さゆえに、『ハッピーエンド 』『MUSA -武士-』という初期の代表的な映画作品にまつわる体験を通して、演技者としてどのように生きようかという問いかけを開始し、ときに深く悩んでいる。 20代半ばから30代にかけてのチュ・ジンモの主演映画はバラエティに富んでおり、作品としても質の高いものであった。だが、映画の興行成績は振るわなかった。映画『リアル・フィクション』(2000年)は、韓国映画史上最短記録(3時間20分)で撮影された実験的な映画である。映画『ワニ&ジュナ 〜揺れる想い〜』(2001年)は、その当時美男の代表格であったチュ・ジンモと韓国随一の美女と謳われたキム・ヒソンとの「美男・美女共演」が話題となった。けれども、そのような評判とは別に、彼自身は細かい演技にこだわり続けている。この映画にはチュ・ジンモの演じる主人公が鉛筆を削りそこなって指先を切るシーンがある。制作スタッフは、代役を使う、CG処理をする等の方法を考えていたが、チュ・ジンモは、主人公の心境変化を明示する場面であることを重視して、自らの指先を切って血を流したという。 この時代にはチュ・ジンモはコメディやスリラーホラーにも挑戦している。映画『ライアー』(2004年)は、イギリスの喜劇作家であるレイ・クーニーの舞台劇『ラン・フォー・ユア・ワイフ(Run For Your Wife)』を下敷きにして、日本でも人気の高い俳優クォン・サンウを世に出した映画『同い年の家庭教師』の監督キム・ギョンヒョンが脚本を書き、メガホンをとった作品である。チュ・ジンモは同じ劇団にも所属していたコン・ヒョンジンとコンビを組んで、これまでの映画出演作での「静」の演技から一転してコミカルな味わいを出し、二重結婚生活を送る男の悲喜交々を演じている。映画『電脳遊戯プロジェクト、パズル』(2006年)はミステリーホラー作品であり、ムン・ソングンをはじめとする5人が主演する形式で企画されたものである。キム・テギョン監督はチュ・ジンモと会ってから、脚本を書き換えてチュ・ジンモの台詞を大幅に削ったため、彼は演技力に問題があると思われたのではないか、と自分自身を責めたという。だが、監督は、チュ・ジンモに会ってその「目」の力に着目し、彼が表情による感情表現のできる役者であることを見抜き、そうした演技を望んだという。監督の意図を理解して、彼は目の動きと表情の変化によって、妻を失い人生に失望して犯罪に走った男の役割を演じ切った。 デビューから30代初めまでの軌跡を追うと、チュ・ジンモが役者としての方向性に悩み、主演映画の興行成績が振るわないことに悩んでいたことがわかる。出演の決まった映画(『引き金』、2002年)が制作延期になったり、主演したテレビドラマ(『飛天舞』、2004年)の放映が版権等の問題で2年7か月も遅れたりするという悲運にも見舞われており、収入が安定しなかったことから、後に彼はあまりにも不運な状況が続くので拗ねたこともあると語っている。
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