3代目ジェームズ・ボンド
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「ロジャー・ムーア」の記事における「3代目ジェームズ・ボンド」の解説
1973年に『007 ダイヤモンドは永遠に』で1作のみの限定復帰をしたショーン・コネリーの後を受け、3代目ジェームズ・ボンド役に抜擢され世界的に有名になった。2代目のジョージ・レーゼンビーが大幅若返りであったのに対し、コネリーよりも3歳年長の後任者であったが、キネマ旬報社の『世界映画作品・記録全集1975年版』には、「同世代ながら、より体のキレがいいムーアを起用」と紹介されている。エレガントかつユーモラスなキャラクターが、ファンは勿論、スタッフや共演者にも愛され、1985年の『007 美しき獲物たち』まで足掛け13年、シリーズ7作品に連続で主演した(2017年現在までの、6人のボンド俳優の中で最多の出演本数)。 絶対に覆すことができないと思われた、「007ジェームズ・ボンド=ショーン・コネリー」の先入観を変更させることに苦労した。タフでワイルドなコネリーと正反対の路線を目指したため、しばしば原作のイメージを逸脱し、「ムーアのボンド」を追求した。「コネリーとムーア」は、ボンド俳優の二大巨頭であり、後任の俳優たちは、なかなかこのイメージを上回ることができなかった。5代目のピアース・ブロスナンも「(前任者4人の内)ショーンとロジャーは意識しないわけにはいかなかった」と語っている。 歴代最初の黒髪ではない(栗毛色)ボンドである。また、クイーンズイングリッシュを喋るボンドも彼が初めてである。 ボンド役については、原作者イアン・フレミングがムーアを推薦しており、ムーアが『セイント 天国野郎』で活躍していた頃、ショーン・コネリー降板後の2代目ボンド俳優に決定していたが、撮影が延期になり、『セイント 天国野郎』との兼ね合いでスケジュール調整がつかず、その時点ではジョージ・レーゼンビーが2代目ボンドに抜擢された。レーゼンビーの降板後、後任として、1971年に再びムーアにボンド役の誘いがあったが、今度は『ダンディ2』の撮影が決まってしまい、出演できず、3代目はアメリカ人俳優のジョン・ギャビンに決まる。しかし、ギャビンの起用に疑問を抱いたユナイテッド・アーティスツのデヴィッド・ピッカー社長がコネリーの再登板を要求、コネリー側の条件を全面的に承諾することで一本限りの初代ボンドの復活となった。ギャビンの3代目は幻となる。1973年、結局、『ダンディ2』は人気を得られず終了、スケジュールの空いたところに一作目から数えて実に4度目のオファーで3代目のムーア・ボンドの誕生となった(5代目ボンドとして活躍したピアース・ブロスナンのボンド役決定までにも似たような経緯がある)。2代目のレーゼンビー同様、コネリーの後任である。ムーア自身はフレミングとは面識がなく、彼の推薦という話は配役を正当化させるためのイーオン・プロダクションズの宣伝ではないかと推察している。 3代目襲名以前の1964年にイギリスのTVショーのミニコントでボンドに扮しており、ムーアが初代ボンドの候補であったこと、待望論があったことを証明している。コネリーとの差別化を図るため、ドライ・マティーニを注文しない(口にしたことはある)、タバコではなく、(本人の好みである)葉巻を嗜むなどの工夫をしている。ボンドを演じる際、コネリーの真似をしないよう気をつけていたが、特徴的なコネリーの声真似は得意である。また、歴代ボンドで唯一アストンマーティンに乗っていない(『キャノンボール』ではDB5を運転している)。 歴代ボンド全員と交流がある(デヴィッド・ニーヴン、ピーター・セラーズも含む)。特にショーン・コネリーとは英国出身の同年代の渡米組ということもあり、「無名時代からの友人」で、お互い有名キャラクターを演じるために1962年に帰国したことなどもあり、「親交が深い」。 ムーアはシリーズのプロデューサーである、アルバート・R・ブロッコリとハリー・サルツマンとの関係が絶望的に悪化しているコネリーとは対照的に非常に良好なため、シリーズの特番のインタビューは勿論、パーソナリティや時にはボンドに扮して登場することもある。 ブロッコリ、サルツマン、コネリーたちと親交が深いが、彼らがそれぞれ仲が良くないことも熟知しており、この点に関して腐心した。コネリーがまだボンドだった時代に3人のテーブルに同席したことがあり、気が気でなかったという。コネリーに次いで"サー"の称号が与えられたボンド俳優である。 その他にも『セイント 天国野郎』の主人公「サイモン・テンプラー(=ムーアというイメージが今でも欧米にはある)」、『ピンク・パンサー』シリーズのジャック・クルーゾー警部(奇しくもこちらも初代からバトンを受けた3代目)等の人気キャラクターも演じている。 1983年6月、シリーズ13作「オクトパシー」公開に先駆けて来日した際、「笑っていいとも!」にボンドガールのモード・アダムスと出演。終始ジョーク連発して会場内を爆笑させた。コーナー終了時にはタモリと一緒に「友達の輪」を披露。「ワキガ止めスプレーを使ってるから大丈夫」などと、会場を爆笑させていた。 「007」シリーズ以外にも数々のアクション映画に主演したムーアだが、意外にも自他共に認める運動音痴だという(唯一得意だった競技は水泳)。彼が演じた007はシリーズ中でもかなり派手なアクションを取り入れた作品が多い傾向があったが、スタント・パーソンによる撮影を多用したとの評もある。特に彼の最後のボンド作品となった『007 美しき獲物たち』ではすでに50代後半であり(これは2017年現在、同シリーズ最年長記録である)、ほとんどのアクションシーンではスタント・パーソンを使っている(また、同作ではかなり顔の皺が目立っている)。ムーアが『美しき獲物たち』を最後にボンド役を降りた理由は、冗談めかしに「これ以上やったら殺される」ということであった。しかし、実際に撮影に参加した多くのスタントマンたちによれば、ムーアは世間が思っているほどスタントに消極的ではなく、むしろ、ティモシー・ダルトンの方がスタント・パーソンに任せきりだったと語っているともいう。ムーア自身はスタント・パーソンに頼ってばかりいることを揶揄した記者の質問に対して、冗談めかして「ラブシーンは全部スタントマンが演じている」と嘯いてもいる。実際、ラブシーンのほうが代役に任せたいほど苦手だったという説もある。また、こういった「ムーア一流のユーモア溢れる受け答え」を記者はむしろ、好意をもって対応したことからも、ムーアの人柄が滲み出ている。また、「アクション映画は楽だ。覚えるセリフは少ないし、危険なシーンは代役がいる」と普通の俳優が言ったら問題視される発言も、「多くの人を笑いに包み込む」ことができるパーソナリティの持ち主だった。
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