革命後の逼迫とは? わかりやすく解説

革命後の逼迫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:03 UTC 版)

アンナ・アフマートヴァ」の記事における「革命後の逼迫」の解説

1914年第二詩集数珠』を刊行。『夕べ』と同じく愛の喪失テーマしながら、その悲哀克服せんとする方向変化見せはじめたこの詩集は、大絶賛された『夕べ』をもしのぐ成功収めた同年自伝的長詩海のほとりで』を発表するころには、アフマートヴァに続けといわんばかりに千人もの女性が詩を書きはじめていた。「アフマートヴァ以前」と「アフマートヴァ以降」を截然分けメルクマール的な役割果たしたといえる。彼女の初期詩篇は、最も痛切微妙な関係に立ち至った男女の姿描き出すものが多い。これらは多く模倣者を生み、のちにナボコフらによるパロディをも生んだ。アフマートヴァは「私は多く女たちに語る方法教えたけれど、あの人たちを黙らせる方法だけは分からない」と嘆息せずにはいられなかった。 第一次世界大戦、そしてロシア革命勃発してまもないころに書かれ1917年上梓された第三詩集白き群』からは、世界動乱呼応して宗教的な祈り救済テーマとした詩篇多くなった。アフマートヴァの初期の作品詩的空間は、ブリューソフ指摘するように個人的な愛をテーマとするためやや閉鎖的なものとならざるをえなかったが、戦争による破壊荒廃を目にした絶望感契機として徐々に周囲世界へ開かれていった。 そして1918年アフリカライオン第一次世界大戦戦場、そしてパリ娘の売子たちを求めて彼女のもとを去っていったグミリョーフとの離婚正式に決定し、アフマートヴァは優れたアッシリア学者ウラジーミル・シレイコ(Vladimir Shilejko)と再婚する芸術家同士結婚失敗した傷心を、堅実な学者結婚して家庭的な生活に入ることで癒そうと考えたためだが、シレイコは文学はまった関心もたないであった。シレイコはアフマートヴァが詩を書くこと自体を望まず、妻の原稿サモワール焚き付け使ってしまうほど理解のない夫であった。アフマートヴァは思うよう詩作続けることができず寡作になってゆき、1920年には1篇の詩も書けなくなる有様であった忍耐限界達したアフマートヴァは1921年に再び離婚しサンクトペテルブルクネフスキー通り交差するフォンタンカ運河面した噴水邸(Sheremetev Palaceとしても知られる)に居を移し詩作再開するこの年ニコライ・グミリョーフ反革命的宣伝文書作成という罪状秘密警察によって銃殺された。その後スターリン体制下において多く詩人芸術家処刑されることになるが、グミリョーフはその最初の一人となったのである。すでに関係を清算していたとはいえ、かつての夫であり同じアクメイストの詩人であるグミリョーフの死はアフマートヴァに衝撃与えた。またこの一件は、やがて息子レフ将来悪影響を及ぼすこととなる。 1920年代に入ると、現代ロシア詩における二つ対照的な潮流担い手としてアフマートヴァとマヤコフスキー並べて論ず文学者現れてきた。代表的な論考としては批評家コルネイ・チュコフスキー(Korney Chukovsky、児童文学作家として知られる)による講演二つロシア』を改稿した評論『アフマートヴァとマヤコフスキー』が知られる。この評論の中でチュコフスキーは、アフマートヴァを過去文学的伝統の継承者として、マヤコフスキー未来の文学開拓者として対比させ、同時代文学複眼的考察した。しかし、やがて文壇革命後の熱狂の中で政治色増し、アフマートヴァのような詩人旧世代属す反革命的な存在だという論調が強まることとなる。革命前から活躍していた作家ボリシェヴィキそのもの順応しない作家にさえ寛容であったレーニントロツキー死去ないし失脚してゆく中で、御用学者たちによる「愛について語るばかりで、労働についても革命的群衆についても語らないアフマートヴァの詩は反革命的である」という極論が党の公式見となってゆき、マヤコフスキー本人も、個人的にはアフマートヴァを高く評価する一方で芸術左翼戦線LEF)などの公の席上では批判の声上げるようになっていったのである。 またこのころロシア・フォルマリズム批評家ボリス・エイヘンバウムBoris Eichenbaum)はアフマートヴァの詩的言語に関する論考において、日常言語的な層と聖書風の用語の層との二重性を「情熱身を焦がす淫乱女か、あるいは神の赦し請う修道女か」と喩えたが、この比喩はのちに文化アンドレイ・ジダーノフによって彼女自身対す攻撃文句として用いられることとなったジダーノフ批判参照)。

※この「革命後の逼迫」の解説は、「アンナ・アフマートヴァ」の解説の一部です。
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