革命性と反動
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アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックによれば、保守革命における保守とは単なる反動的保守主義とは違い、また革命は肯定されるべきものとされた。したがって、メラーは11月革命を否定したり、単にナンセンスと決めつけたりはしなかった。大戦の敗戦と革命は悪をもたらしただけではなく、新たな積極的なスタートともなったという立場から 「敗戦は決して取り返し得ないものではない。最悪の平和といえども決して決定的ではない。しかし革命はかちとらねばならない。革命は一回限りのものである。革命はある国民が他の国民と決着をつけるような事柄ではなく、革命は全く一国民に関わる事柄であり、当該する国民のみが自ら決着をつけなければならず、国民が自己の運命に自由に与えることのできる方向は、その革命の結果に関わっている。」 故に、革命はメラーにとって「一国民の生活史の中で二度と回帰することのない瞬間」であって、国民は革命の中で復活するか、根底から改造されるかするのである。11月の革命もこういう瞬間であり、それは静止させてはならず、それが明確な結論に達し、ドイツの政治的定有が国家的形態を取るまで前進し続けなければならない。それ故、反動家が望んでいるように、革命を押し戻そうとするのはナンセンスである。 「革命を押し戻すことはできない。革命は、機を失しない限りこれに打ち勝つことはできる。しかし、革命が一度事実となるや否や、政治的に考えると同時に歴史的にも考える人間にとっては新しい事実となった革命から出発する以外にはない。この事実を除いて今や他の事実はないのである。」 既に過去のものとなった第二帝政へ復帰しようとするこの反動精神と我々は戦わねばならない。何故なら 「反動的な人間は国内の危険である。議会主義的な国家にとってではなく、国民にとっての危険である。」従って反動的な人間と保守主義的な人間とを鋭く区別することが肝要である。 反動家とは、我々が1914年以前に送った生活を、依然として美しく偉大、それどころかこの上なく偉大であると考えている者をいう。保守主義者とは、この点独りよがりな自己陶酔にふけることなく、むしろ率直にあの頃は厭うべき時代だったと告白する者である メラーは反動の理念、というよりはむしろ理念無き反動の理念を国家主義と対比している。この国家主義は国家を理念の一切のものの上におく、それどころか君主制思想の上にさえもおく革命的保守主義である。 君主制と国家とはついに一致を見なかった。そして国民によって、危険な数時間、試練の数年のうちに、この一致が再び作り出さなければならなかった。やがてヴィルヘルム時代に至り君主制と国家は次第に分裂していった ヴィルヘルムの復位などは最高のナンセンスに違いあるまい。
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