革命後の教育と女性の地位の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:17 UTC 版)
「イラン革命」の記事における「革命後の教育と女性の地位の変化」の解説
革命後政府は体制支持集会や戦争協力などに女性を積極的に動員してきた。例えば、革命後まもなくホメイニーは預言者ムハンマドの娘ファーティマの誕生日を「女性の日」と定め、この日に大規模な女性集会を組織してきた。またイラン・イラク戦争の時には女性も革命防衛隊に動員された。イスラーム法学者が統治する体制を浸透させるためには女性の教育が必要であると考えた政府はそれ以降も、特に女性教育を重視して学校の増設や女性教育者の養成に取り組んだ。 こういった学校のイスラーム化は地方や農村などの保守的な地域の就学率も押し上げた。その結果として、イランの教育機関における女子比率は、小学校では革命前(1975年)の31%から48%(2003年)となり、中学では、37%(1976年)から48%(2003年)高校では36%(1978年)から48%(2008年)に向上した。 イランでの公立大学への進学は、年一回のコンクールと呼ばれる大学統一試験に合格しなければならないが、全合格者に占める女子比率は年々上昇し、1998年には遂に男子を抜いて52%に達し、2002年には62%を記録した。現在では高等教育における大学生の男女比率は、医学、人文、基礎科学、芸術の各専攻とも女性優位となっている。例えば医療系学部の女性比率は70%、基礎科学系学部は56%、人文系は52%、農業・獣医系は46%となっている。 医療分野を例にとると、国民医療の公営化による普及と男女分離政策により、女性患者にたいするサービスは女性スタッフが行うことが望ましいとされたために、女性の雇用が伸びている。 教育分野においても同様のことが言え、専門職に従事する女性の83%が教育関係の職に就いている(1996年度現在)。また大学ならびに高等教育機関の専任教員に占める女性の割合は1978年度から1997年度の20年間に17.4%から19.4%へ、非常勤も含めると13.6%から16.8%に上昇した。近年拡充されてきた女性向けの年金制度や育児休暇制度のおかげで社会参加と就労がさらに進み、女性からの離婚を申し立てる権利も拡大している。 イランでは中等教育までは男女別学が基本だが、教育カリキュラムは、中等教育過程での男子を対象に防衛技術を教える「防衛準備科」を除き、教育の全過程を通して男女同一である。 女性が対外的に公衆の前では体と髪を覆うヘジャーブを着用する義務に対して、近年抗議デモが盛り上がり、現政権も無視できない状況になってきている。 また、革命後にイランで学士号までの教育を受けた女性数学者・マリアム・ミルザハニは、最も権威ある数学の賞であるフィールズ賞を受賞した現在まで唯一の女性である。
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