革命左派出身メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:11 UTC 版)
「山岳ベース事件」の記事における「革命左派出身メンバー」の解説
永田洋子(27) - 革命左派の獄外最高指導者で連合赤軍においても森に次ぐナンバー2の地位を担った。永田が合同軍事訓練においてD批判をしたことがきっかけで森が「革命戦士の共産主義化」を説くようになり、森の考えに積極的に迎合していき、各メンバーを積極的に追及していった。 坂口弘(25) - 永田の内縁の夫で革命左派の獄外ナンバー2。連合赤軍においても森、永田に次ぐナンバー3の位置にいた。「暴力的総括要求」に疑問を抱きつつも反論できず、暴行にも加担した。事件の終盤には総括要求されたが事件の終結により暴行を受けるには至らなかった。あさま山荘事件の主犯の1人。 F(24) - 革命左派時代は永田・坂口に次ぐナンバー3にあり、連合赤軍においても指導部メンバーになった。総括対象者に対する暴行にも積極的に関与したが、後に総括要求を受け死亡。 吉野雅邦(24) - 革命左派時代は印旛沼事件に実行犯として関与。その実績を買われて指導部メンバーとなる。連合赤軍においても指導部メンバーではあったが発言力はほとんどなかったとされる。暴行に積極的に関与。あさま山荘籠城メンバーの1人。 G(23) - 女性メンバー。獄中にあった革命左派メンバーと恋人関係にあったが後に印旛沼事件の被害者となるメンバーと恋人関係になる。合同軍事訓練後の赤軍派の植垣の結婚の申し出を受け入れ恋人関係にあった。定期的に森や永田の批判を受け、やがて総括対象となり小屋の床下に縛った状態で放置され死亡。 H(24) - 女性メンバー。吉野の内縁の妻で妊婦。Gと共に定期的に森と永田の批判を受け、やがて総括対象となり死亡。 b(24) - 連合赤軍において森の信頼を受けて党員候補とされ、暴行にも積極的に関与するが、後に脱走。事件終結後出頭。 I(22) - 合同軍事訓練直前に逮捕され、事件直前に釈放された。eと共に永田ら革命左派獄外指導部に対する「意見書」を提出し、逆に永田の批判を受ける。「暴力的総括要求」の最初の被害者で、一度は総括の進展を森に認められるが最終的に死亡。 J(22) - 女性メンバー。印旛沼事件に運転手として関与。以後、精神的に不安定になり、言動を森に批判され総括対象となり、死に至る。Iとは恋人関係にあった。 K(22) - 1970年の 上赤塚交番襲撃事件の実行メンバーとして指名され、本人も当初は承諾していたが、直後に姿を消し逃亡した過去を持つ。森からは「軍人らしくない」と批判され総括要求を受け、死亡。本事件最初の犠牲者。 c(24) - 女性メンバー。Fの内縁の妻。事件前から永田にFからの自立を求められており、後にFとの離婚を宣言。 d(22) - 合同軍事訓練直前にIらとともに逮捕され、Iらが提出した「意見書」にも同意していたがIのように追及されることはほとんどなかった。後に脱走。事件終結後出頭。 e(21) - 森に「若い頃の自分に似ている」と評価され、bらとともに党員候補に指名されるなど信頼されていたが、最初に脱走したメンバーとなった。事件終結後出頭。 f(22) - 女性メンバー。eとともに名古屋に行きeに直接脱走宣言されるが1人山岳ベースに戻った。 g(23) - 女性メンバー。追及に積極的に加担。Hの代わりに会計係に指名されるなど森の信頼も厚かった。 L(28) - 元は革命左派メンバーでなくシンパの一人であったが事件直前に仕事を辞めて妻子をつれて入山。後に傍観者的態度を問題視され総括要求を受け死亡。 h(28) - 女性メンバー。Lの妻。Lに請われて生まれたばかりの子供を連れて入山。Lの死後脱走。事件発覚後出頭。 加藤倫教(19) - Iの弟で当時19歳。I暴行の際には弟のiと共に兄であるIを殴ることを強要された。あさま山荘事件籠城メンバーの1人。 i(16) - I、加藤倫教の弟で当時16歳。あさま山荘籠城メンバーの1人。
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