野山厩舎
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アルフィー(父:サンデーサイレンス 母:サクラハツユキ 母父:パーソロン) 静内・谷岡牧場生産の競走馬。当歳時、牧場に来た観光客にナイフでたてがみを切られたことに驚いて観光客に噛みつき、これによって逆上した観光客から虐められた経験から非常に臆病な性格になり、中央では1度も出走できなかった。その後野山厩舎で優馬と出会い、優馬の手によって前が見えない状態で強引に銀座の歩行者天国に連れていかれ、ここで人目に慣れたことで臆病な性格を克服してレースへの出走ができるようになった。皐月賞を勝利し、地方馬初のクラシックホースになったが、コズミを押して出走したダービーのレース中に怪我(右前肢複雑骨折)をし、予後不良となり安楽死処分となる(作者は生存か死亡かを非常に悩んだそうだが、1995年の第36回宝塚記念でライスシャワーが故障、競走中止し安楽死処分になったことを見て、アルフィーを同じ安楽死処分という結果にしたと語っている)なお、母馬のサクラハツユキは実在し、1994年の弥生賞馬サクラエイコウオー(父マルゼンスキー)の母である。また、アルフィーと同じくサンデーサイレンスを父に持つサクラケイザンオー(1996年の菊花賞4着)も輩出した。ケイザンオーは血統だけでなく毛色や流星もアルフィーとそっくりである。戦績は通算6戦5勝。青鹿毛。主戦騎手は光優馬。 ボムクレイジー(父:グリーングラス 母:ラブシンザン 母父:シンザン) 新冠・山崎牧場生産の競走馬。馬体の大きさを除けばアルフィーと瓜二つで、優馬と捨造がアルフィーの全弟を見に行った帰り、放馬して暴れているところに偶然出会った。3歳時で既に体重500kg後半、4歳時には600kgを超えるという巨漢馬。アルフィーとは対照的に非常に荒っぽい性格だが、反面騎手の感情の変化さえ敏感に感じ取る繊細な神経の持ち主。地方初の日本ダービー馬となり、最後には海外遠征も果たすなど、日本を代表する名馬へと成長していく。ブルーエンブレムにジャパンカップで負けた後はエンブレムを追って優馬が海外遠征を強行するも捨造が猛反対。岡田を騎手として日本大賞典に出走させるもエンブレムがいないレースに出る気が起きずに勝手に厩舎へ戻り、出走停止。以後は捨造も海外遠征に反対することもなくなった。海外では、BCクラシックでエンブレムを倒して制覇した。その後、35億円で引き取りたいという話が出る(捨造は乗り気だったが当然優馬は拒否)。泳ぎが大の苦手。 リップ (父:シンボリルドルフ 母:トリック 母父:タマモクロス) 野山厩舎の元祖暴れ馬だが、優馬が来てからはすっかりおとなしくなった。競走中に手前を変えられないという弱点があり1勝もできず、一時は処分寸前にまで追い詰められるが、優馬の好騎乗で弱点を克服。その後は順調に勝ち続け地方競馬を代表する強豪へと成長した。 ラブゼット(父:ハイセイコー 母:ラブシンザン 母父:シンザン) 新冠・山崎牧場生産の競走馬で、クレイジーの半妹。ハイセイコー最後の子供である。入厩前に厳しく仕上げられすぎたため、走る事に恐怖心を抱くようになってしまう。小林により軟化したものの、能試で鞭を打たれたことで再び走る気をなくし、立ち止まってしまった。兄とは違い泳ぎが得意で水に落ちた小林を助けるシーンもある。
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野山厩舎
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ピエタ(父:オグリキャップ、母:アンジュ) 通称「白い奇跡」。北海道日高地方ルネサンス牧場生産の競走馬。白毛。生まれた時には母馬が死亡していた為、小林政宏が人工哺乳にて育てる。小柄。穏やかで優しい性格。優馬が幼少より鍛え作り上げた競走馬。初戦は関東地方競馬場ダート1200mで末脚で差し15馬身離して優勝する。第二戦は関東地方競馬場中央指定交流競走ダート1600mでは逃げで大きく引き離して優勝。第三戦は東京の5R500万ダート1600mでも最後尾から末脚で優勝(バルブ総帥の陰謀でピエタが失格になるよう、岡田厩舎の調教師に寝ワラにまくよう薬を渡すが、岡田はピエタに与えなかった)。第4戦は中山競馬場芝1800mスプリングS(GII)に参戦。ここまで無敗で制し皐月賞の優先出走権を得る。第五戦は皐月賞に参戦。 本来の適正距離はスプリンターであり、2000mを超えるレースには向かなかったが、優馬の特訓の甲斐あって以後、連戦連勝。皐月賞・東京優駿(ダービー)・菊花賞を無敗で制覇。光優馬復帰戦の翌年の有馬記念を逃げ切り大差勝ち。無敗の四冠馬となる。続編では、レース後に放牧されていたが、翌年の天皇書(秋)から復帰し、ネイルクイーンを退けて優勝をする。有馬記念では光優馬の騎乗馬がどの馬になるのかに注目が集まったが、結局、ピエタに騎乗。豪雨で最悪の状況の中スタートを切り、道中は中断、向こう正面から仕掛け始め、最終コーナーで落馬した他馬を避けるための行動が後の重大な故障に繋がる。そのまま直線を迎え、最後でファケレを抑えて優勝するものの、左前脚粉砕骨折を発症し予後不良の診断を受ける。しかし、そこから治療を開始。目標としていた凱旋門賞を断念することになり生きる希望を失って断食症状に陥るが、光や小林の思いによって自身の気持ちに気が付き治療を再開したものと思われる。 最終話に、ハクジャが出産した双子の競走馬(葦毛?と鹿毛?)の父がピエタである旨が記載されていたことから、何らかの治療の成果によって一時的にせよ種付けができる状態まで回復したことがうかがい知れる。ただし現状は生死不明。
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