運命の5分間とは? わかりやすく解説

運命の5分間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:10 UTC 版)

ミッドウェー海戦」の記事における「運命の5分間」の解説

戦後日本の空母三隻が被弾炎上する直前赤城では攻撃隊戦闘機発進しようしており、あと5分あれば攻撃隊発艦できたとする話が紹介された。これは「運命の5分間」として広まったが、第一航空艦隊参謀長だった草鹿龍之介が『文藝春秋』の昭和24年10月号に書いた手記運命海戦 ミッドウエイ洋上五分間の遅れが太平洋海戦運命決した!!」が最初であるまた、昭和26年出版された淵田美津雄海戦時、病気横になって赤城発着指揮所から見ていた)と奥宮正武との著書でも「運命の5分間」が書かれた。「被弾した時(日本の三空母が急降下爆撃された時)、各空母甲板上に発進準備終えた戦闘機隊、雷撃機整列しており、アメリカ軍攻撃があと5分遅ければ全機発進できた」と淵田中佐は記述している。この本は『ミッドウェー』であるが、その影響大きく以後日本のミッドウェー海戦に関する戦記はこの本の記載概ね踏襲したものとなった。また『ミッドウェー』は昭和30年代英語版出版されており、アメリカ海軍歴史家サミュエル・モリソン著書History of United States Naval Operations in World War II』のミッドウェー海戦に関する章が、英語版ミッドウェー』の記載に沿う形で増補改訂されたことから一般的な説として広まったという意見もある。英語版ミッドウェー』が出版された後に出版されたミッドウェー海戦戦記では、執筆協力したマクラスキー少佐ベスト大尉等のアメリカ海軍パイロット達が「各空母甲板には航空機並んでいた」と述べたことも相まって海外においても「運命の5分間」はほぼ定説と見られるようになったとする意見もある。 しかし、戦史叢書ミッドウェー海戦』には、第一航空艦隊戦闘詳報を元にこの時点で攻撃隊発艦準備終了していない」と記載されており、10:20出されとされる発艦命令10:22出された「上空直掩機準備でき次第発艦せよ」という命令誤解して広まったものだとしている。また、空母複数乗員は「攻撃隊並んでいなかった」「上空直掩を行う戦闘機準備なされていた」という回想を残している。第一航空艦隊航空参謀だった源田実5分説を採用していない。赤城雷撃隊の松田憲雄電信員は、ちょうど「第二次攻撃隊員整列」のアナウンスがあり、搭乗員達が出撃前にお茶飲もう一息ついた時だったと証言している。蒼龍雷撃隊の三兵曹は被弾後搭乗員待機室から外に出た際に、「艦爆搭載の250kg爆弾が格納庫の中で誘爆している」と聞いたという。また、アメリカ残された赤城日誌等の日本資料調査したJ・パーシャルやA・タリー調査では、B-17撮影した蒼龍飛龍赤城飛行甲板写真航空機並んでいない事から、山口進言に従っていれば「運命の5分間」は避けられたとする説には無理があるという意見もある。しばしば使用される「運命の5分間」というのは単なるたとえであって実情5分でないことは昔からわかっていてはるか以前から死語になっているという主張もある。 「運命の5分間」が生まれた理由次のように考察されている。戦時中捕虜となった豊田穣は、ハワイミッドウェー報道新聞読んだ中に数分あれば日本の攻撃隊全機発艦完了して勝敗逆になっていたというものがあり、草鹿、淵田は戦争直後にアメリカ調査接触しているため、5分説はこの辺から出てきた可能性述べている。攻撃隊発艦準備進んでいれば戦闘機発着艦も不可能なはずだが、各空母被爆する15分前から上空直掩用の戦闘機複数回発着しており、各空母攻撃隊準備完了していたとは考え難いこと、合わせて当時攻撃行ったアメリカ海軍パイロット達も「各空母甲板航空機並んでいたのは確かだが、そんなに多く並んでいなかった」との証言残していることを踏まえアメリカ軍急降下爆撃受けた際に攻撃隊発艦準備終わっていなかったと考え、「運命の5分間」は当初第一航空艦隊司令部出した発艦準備完了時刻10:30であったことと、南雲長官10:22出した上空直掩機発艦命令誤解されて広まったのではないか、という意見もある。再度兵装転換であと30分40分もかかってしまったでは身も蓋もない。あと5分の方が読む方も口惜し感じること、一瞬負け戦転じた事へ万感胸に迫る思いがこの言葉あることから定着してしまったという意見もある。草鹿参謀長や淵田中佐が、攻撃隊発艦準備整っていなかったに関わらず「あと5分余裕があれば」と劇的なストーリー脚色した事について、南雲司令部決断ミスによって敵空母対策後手回った失態包み隠そうとしているとの意見もあるが、草鹿参謀長著書で敵空母への攻撃後手になった責任記述している。 第一航空艦隊司令部航海参謀だった雀部利三郎は、5分間というのは草鹿その場実感だろうという。 戦史研究家戸高一成は、草鹿らが戦後あと少しで勝てた」という言い訳のため広めた推測し大木毅アメリカ側でも「危機一髪のところで勝った」というストーリーの方気分が良いため受け入れられたという見解示している作家澤地久枝は、第一航空艦隊第一次攻撃隊を発進させた直後に敵情変化なければ第二次攻撃第四編成をもって本日実施予定」という予令0220信)を出した未公開資料新発見したとして、「運命の5分間」は0220信兵装転換を始め失敗したことを隠蔽するための誤魔化し主張した。これに対し豊田穣元海軍人作家)は、0220信戦史叢書で既に公開された情報であることを指摘。さらに5分説は海軍定説主張する澤地に対し海軍軍人作成した戦史叢書代表的な海軍軍人である源田実5分説と異な立場取っており、海軍定説ではないとし、澤地勉強不足批判している。また、赤城風紀軍規担当だった芝山末男中尉は、予令兵装転換発動することはないし、そんなことをしたら大問題述べている。そのため、豊田は、たとえ予令兵器員が独断行動開始したとしても、監督不行き届きかもしれないが、草鹿責任はなく5分説で隠す必要もないと主張している。

※この「運命の5分間」の解説は、「ミッドウェー海戦」の解説の一部です。
「運命の5分間」を含む「ミッドウェー海戦」の記事については、「ミッドウェー海戦」の概要を参照ください。

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