起源及び歴史とは? わかりやすく解説

起源及び歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 14:47 UTC 版)

カリグラフィー」の記事における「起源及び歴史」の解説

一般的にカリグラフィー起源とされているのは、1世紀後半から2世紀にかけての古代ローマにおける碑文、特にトラヤヌス帝が建立した石碑文字である。当時アルファベットには小文字はなく、文章全て大文字綴られていた。キャピタル・モニュメンタリス(ドイツ語版)と呼ばれるこの文字は、現代に至る活字書体原型であり、また手書き書体規範となった。このキャピタル・モニュメンタリスを元にしてペン書き適するように作られたのがローマン・キャピタル(英語版)である。 キャピタル・モニュメンタリス 一方でローマには異なったスタイル彫刻書体存在した。ローマン・ラスティックと呼ばれるこの書体は、ローマン・キャピタルより手書き適した書体として、11世紀頃まで使われることとなる。 ローマン・ラスティック 2世紀から3世紀のころ、ギリシャ語書体をもとにローマ字体にしたアンシャル体が、主にキリスト教文書使われるうになる。この書体がローマン・キャピタルやラスティック異なるのは、文字によって標準の高さ(xハイトの上ベースラインの下に突き出る線があることである(アセンダー ディセンダー)。これが現在の小文字起源であると言われている。 アンシャル体 アンシャル体を基にして、ハーフアンシャル体が生まれたアセンダーディセンダーアンシャル体より長くなり、文字による大きさ違いがよりはっきりとする。 ハーフアンシャル体 さらにこれを基にして、6世紀後半にはフランク王国カロリング小文字体生まれる。現在使われている小文字の形は、ほとんどこの書体基本となっている。 カロリング小文字体 7世紀には、フランスのルクソイ修道院英語版)(ただし現代ではリュクスイユとカナ転記される)で文字連結させて書く筆記体としてルクソイ小文字体が生まれる。これは「速く書く」ことを重視した方向への変化である。 一方イギリスやアイルランドでは、6世紀から8世紀にかけて、ハーフアンシャル体を基にしてインシュラー大文字体、インシュラー小文字体、アーティフィシャルアンシャル体が作られた(インシュラーとは「島の」という意味である)。これは宗教的な荘厳さを重視した方向への変化であり、また段落や章の最初文字大きく装飾的に書くヴァーサルという書字スタイル多く使われるようになったダブリンの「ケルズの書」やロンドンの「リンディスファーンの福音書」は、インシュラー体による代表的な写本であり、ケルト民族独特の紋様による装飾ほどこされ現存する最も美し書物と言われている。 インシュラー大文字12世紀以降には、カロリング小文字体その発展形は大きく2つ分かれていく。その1つがイギリスにおけるセクレタリー体やドイツにおけるフラクトゥール体といった草書的な筆記体であり、主に日常的な場面で使われることとなる。もう1つがゴシッククアドラータに代表されるゴシック体である。まだ紙が高価であった時代により多く文字書き留めるために、角張って余白少ない文字になったゴシック体は、別名ブラックレターとも呼ばれている。 ゴシッククアドラータ ルネッサンス期には、ローマ時代書体見直されヒューマニスト体が生まれ、さらにそこからイタリック体ができた。このイタリック体日本ではカリグラフィー初学者が必ずといっていいほど最初に習う書体である。当初より速く書くための日常的な書体として生まれたイタリック体であったが、可読性の高さや優美さなどが受け入れられ、やがてローマ教皇庁教書用に使われるうになるヒューマニストイタリック体をさらに速く書けるように変化させた結果生まれたのがカッパープレート体(英語版)である。ここまで既述書体のほぼ全て平らなペン先角度違いにより線の太さ変えていたのに対し、カッパープレート体は細いペン先使い筆圧変化によって太さ変えるペン先を紙から離さず単語ごとに続けて書くために非常に速く書くことができ、主にビジネス文書契約書など商業分野において使われるようになった。 カッパープレート体 15世紀以降印刷技術発明普及により、手書き文字次第廃れていった。しかし、19世紀末イギリスウィリアム・モリスによって古典的な手書き文字見直しが行われたのを契機とし、エドワード・ジョンストン、ジョン・ハワード・ベンソン(英語版)らによって普及活動おこなわれる

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起源及び歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 22:17 UTC 版)

トラックレース」の記事における「起源及び歴史」の解説

起源について定かではないが、1878年イギリスイズリントンにある、ロイヤル・アグリカルチュラル・ホール(現 ビジネス・デザイン・センター)において、6日間レース起源となる、1000マイルレースが行なわれていることや、1888年デンマークにおいて、車券発売施され自転車レース競輪) が開始されたことから考えると、18701880年代には既に行なわれていたと考えられる。また1893年に、第1回世界選手権自転車競技大会が、アメリカ合衆国シカゴ開催されたが、同大会は1920年まで、トラックレースのみの開催であったまた、種目起源については、各国またがっている。例えば、ケイリン承知通り日本発祥であるが、個人スプリントフランスチームスプリントイタリア、フライングタイムトライアルはカナダマディソンアメリカとなっている。

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