興行から製作へとは? わかりやすく解説

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興行から製作へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:25 UTC 版)

湯浅浪男」の記事における「興行から製作へ」の解説

1927年昭和2年)、中華民国ハルビン特別市現在の中華人民共和国黒竜江省ハルビン市)に生まれる。 内地引き揚げた後、1940年代映画館勤務始め1953年昭和28年2月茨城県猿島郡古河町現在の同県古河市)の新興館の経営変わり、館名を古河セントラル劇場経営森田三郎、のちの古河オデオン)と変更湯浅26歳で同館の支配人就任している。同館は戦前から存在する古い映画館で、新興館になる前は共楽館という館名であったその後1955年昭和30年)には、古河セントラル劇場退職して同県水戸市水戸大映映画劇場経営間宮厚)に移籍、同館の支配人就任している。同館支配人8年務め1963年昭和38年)には新潟県小千谷市小千谷東映経営映画館20年キャリアを積む。 それに並行し1962年昭和37年11月映画製作会社として第7グループ事務所設立事務所東京都港区赤坂新町現在の赤坂7丁目5番34号)のリキビルに置き、湯浅同社の代表を務めた同社設立第一作として、成人映画『熱いうめき』を製作、監督として元新東宝三輪彰招いた同作は、1963年昭和38年4月25日公開された。三輪は、同作のあと『成熟への階段』(1963年11月公開)、『濡れた手』(1964年5月公開)を監督したがこれで降板し、1964年昭和39年6月公開された『夜の魔性』については、湯浅岩佐 浪男の名で監督した。翌1965年昭和40年1月公開され湯浅監督作禁じられた遠い道』からは、本名戻した。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで成人映画黎明期のおもな脚本家監督として、若松孝二高木丈夫本木荘二郎変名)、南部泰三小林悟新藤孝衛糸文弘小川欽也小森白山本晋也宮口圭、深田金之助藤田潤一小倉泰美浅野辰雄渡辺護片岡均水野洽変名)、福田晴一とともに湯浅の名を挙げている。 事務所スポーツ新聞目を通していた湯浅は、安藤昇書いた安藤組解散の手記」を読んで現金50万円を懐に安藤自宅訪問し映画化権取得して、『血と掟』の企画実現する当初新東宝の俳優主演する予定だったが、湯浅熱意安藤昇本人出演することになった。。同作松竹配給し全国公開され、同年度の松竹配給作品で最高の興行収入上げている。以降女優桑野みゆきの父・齋藤某が主宰しCAG安藤組関連ヴァイオレンス映画数本監督し松竹供給することになる。1966年昭和41年6月公開された『危険な戯れ』(主演松井康子以降は、同じ赤坂国際ビデオ(代表・建部博、1962年5月設立)と提携して映画製作行った。「独立プロ初の十大女総出演による超大作」と銘打ち香取環松井康子谷口朱里可能かづ子飛鳥公子桂奈美清水世津らが出演した成人映画『悲器』(1966年9月公開)からは、国映(代表・矢元照雄1957年6月設立)と提携した同年11月台湾との合作『母ありて命ある日に』をきっかけ台湾渡った台湾では、同年中に霧夜的車站』および『東京流浪者』を公開し日本増して劇場用映画量産しており、1969年昭和44年)には台湾中華民国)への帰化申請している。両作には東條旧名・君和田)、神原明彦山本昌平津崎公平川辺健三、当時湯浅助監督であった安藤達己1938年 - 2013年)が出演しており、津崎は『青春悲喜曲』『懐念的人』、安藤は『難忘的大路』にも出演している。1970年昭和45年)には、同地において1967年昭和42年)に公開されていた『大忍術映画 ワタリ』(監督船床定男日本公開1966年7月21日)で絶大な人気得た少年俳優金子吉延日本から招聘し、金子主演に『神童桃太郎』『桃太郎斬七妖』の2作を製作、湯浅はこれを湯 慕華の名で監督している。1971年昭和46年6月正式に帰化する。 『日本映画監督全集』の湯浅の項を執筆した山根貞男は、1975年昭和50年)の夏に日本一時帰国その後台湾戻ったという話を伝えているが、その後消息不明である。台湾22作の劇場用映画監督、あるいは脚本提供していることがわかっている。『悲器』の撮影技師であり、ともに台湾渡り、『霧夜的車站』等の撮影をした中條伸太郎1934年 - 2001年)は、2001年平成13年7月2日台北亡くなっており、湯浅助監督務め台湾では俳優として出演した安藤達己も、2013年平成25年2月7日亡くなった湯浅浪男は、平成3年4月22日65才で亡くなり横浜戸塚区にあるメモリアル・グリーンで眠っており、墓守養子義勝が行っている。 台北では、(財)国家電影中心熱心に資料残してくれている

※この「興行から製作へ」の解説は、「湯浅浪男」の解説の一部です。
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